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【読書記録】ここが変だよ、保育園

これは、名古屋市の園長先生たちが読むと勉強になるかもしれません。
保育園のシステムに興味がある人は、「ほぅ。」となるかもしれません。
NTTの研究職として働いていた男性の目線で、内部のおかしな様子を、理路整然と語ってくれています。

現場から園長になった先生に言わせてみると、そんなん知ってるけど忙しすぎてそれどころじゃないんだ――!って、思う内容でしょう。
それでも、世間に訴えるにはこのぐらい理路整然と語ることが必要な場合もあるのです。ノンバーバルコミュニケーションが得意な保育者集団を世の中に広めるには、こういう書き方の方が受け入れられそうです。

現場の私が知らなかった情報としては、同じ福祉の世界の「介護」の今の姿が、10年後の「保育」の世界であるという見立てでした。子どもの保育ばかりみていた私には盲点でした。

最近、介護の話で「へろへろ」という本を読みました。それは、1人の想いからスタートの波乱万丈物語でした。
この保育園の本は、廃園させないためにに、園長業務の見直しと、システムエラーをITで改善し、仕事を分かりやすくした上でそこに人をつけていくというシステム構築というか、半分経営の話でした。

ビジネス書もがっつり読んでいる保育士じゃない限り、この手の本は眠くなってしまうやつです(笑)働いていた当時の私がこの本を手に取っても、たぶん響くところは少なかったと思います。ただビジネス視点で、子どもの数を予算としてカウントするのは何となく嫌悪感が生まれるのはわかります。

 あるときの会議で保育園経営の話になったことがありました。補助金のことで1人の園児が増えるといくら増収になって、1人あたりにかけられるコストはいくらか、といったお金の話題が続いていたところに突然、1人の園長先生が立ち上がって強く主張しました。
「子どもは八百屋の大根じゃない!子どもを商品のように考えるべきではない」

ここが変だよ、保育園 p30~p31

それでも、著者は考えています。

 もちろんこの園長先生の気持ちは痛いほど分かります。ですが、だからこそ大切な子どもが安心して過ごせる園を存続していくために、経営課題に目を向けることは避けて通れません。経営のことを考えるのは園長の大切な仕事です。子どもたちは商品ではないと言って、経営課題、特に目先の状況だけではない、中長期的な計画や方向性に目を向けずにいれば、最悪の場合は保育園の倒産という事態を招くことになり、結果として最も不利益を被るのは子どもです。

ここが変だよ、保育園 p31

保育園の存続のために、力を入れたいとの思いが伝わってきました。私自身は公務員保育士だったので、民営化して引き継ぐ側でした。名古屋市で最初に保育園を民営化をすると決まった時に、白羽の矢が立った則武保育園。そこをどの民間に引き継ぐかを吟味しないと、その後にどんどん民営化が進んでいき、名古屋市全体の保育の質を保てないと危機を感じていました。

公立と民間の保育者や保護者を巻き込んで、署名とか宣伝とかカンパを集めるなど、いろいろやってきました。(名古屋市の計画に反対する活動なので、みんな有休をとって)まぁ、保育士がいくら反対したところで、計画は実行されていきますが。

実際の所、地域のお母さんたちにとっては公立でも民間でもいい保育園で、近所にあればそれでいいのです。世の中には、子どもには興味のない人も大勢いました。それが、現実でした。

引継ぎ後の保育園の評判は好評で、それが救いだった記憶があります。
我が子を預けていた公立保育園も民営化、耐震工事、コロナも重なりあの流れは過渡期だったなぁと、本を読みながら思い出していました。

この本の著者は、保育園という箱がなくても、地域でのびのび子育てを行うことができるモデルを理想としています。地域みんなお互いに助け合える関係づくりです。福祉がなくても、誰も困らない街づくりだそうです。

なるほど。そういう世界観かぁ。
これを読みながら、私は思いました。ここでも、めっちゃムズイことやろうとしていらっしゃる!?テクノロジーじゃ解決できないやつです。そもそも、自立すら難しい家庭をサポートすることもある保育現場。そういう人たちを地域みんなで支えるというのは、地域に余裕がないとむずかしいでしょう。子ども食堂がうまくまわっているような地域なら可能かもしれません。慈愛に満ちた人の住む地域。

人は、所詮、感情の動物なのです。
イヤな存在は、「キライ。近寄らないで。」
いい存在は、「いてもいいよ。」
ぶっちゃけただ、それだけなのです。
でも、保育士は求めてしまいがち。
サンリオの企業理念のように「みんな、なかよくね♡」と。

今の世の中は、資本主義。
だからこそ、こぼれ落ちた人たちのセーフティーゾーンが福祉。
この社会自体を破壊しない限り、その理想の街はつくれないのではないでしょうか。いくら、政治のトップを入れ替えた所で変わりません。

地域の人の構成が、Giverだらけだったらいいのでしょう。
Matcherでもいいけれど、それだと力の差で不公平感がうまれます。
Takerが1人でもいたら、疑心暗鬼がうまれてくるでしょう。

※「ギバー(Giver)」「マッチャー(Matcher)」「テイカー(Taker)」は、アダム・グラント(Adam Grant)によって提唱された人間の協力や利他主義に関する理論に基づいた、職場や社会における人間関係の3つのタイプです。この理論は、グラントの著書『Give and Take』で広く知られるようになりました。

そんなことを思いました。
結局、システムよりもその地域の人たちの人間性によりそうです。
お互いに依存先を増やすと、人はとても生きやすくなるそうですから。
相手の幸せを願い、自分の幸せも願うあり方です。

そんなユートピアを日本に創れたらいいですね。


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