【書く力】⑪敬意ある文には準備アリ
文章を書く人と文章を読む人がいる。
書いた文を最初に読むのは、作者だ。
だから、作者は読者でもある。
自分自身に問う。
「そこに、敬意はあるか?」と。
「どっかの体験をマネしていないか?」と。
「自分を傷つけていないか?」と。
「失礼だったり、顔に泥を塗るような文になっていないか?」と。
ある作家は、すべての執筆を終えた後に推敲に一番気を使うという。
自分で読んで、この文章をこんな風に受けとる人がいるかもしれない……と感じたら、書き直すそうだ。これができる作家は強い。
(第三者の目をもっている)
敬意とは、相手のことを尊敬する気持ちだ。
それは、自分も含む。
自分に自信を持ち、盗まず、優しく、世のためになることを伝える。
もし、自分の文に何らかの情報源が必要だったら、
1次資料にあたること。
創作物なら、たぶん神話やおとぎ話にいきつく。
1次資料は変わらないものが多いから。
ビジネス関係なら、論文にいきつく。
データや数字は人を納得させる力がある。
それらがたとえ嘘だとしても、人はそれを信じてしまう。
文章の信憑性は、参照したものの信憑性に比例する。
誰かから聞いた情報、伝聞よりも本人からの情報が強い。
データなら公の機関のものがよいらしい。(国勢調査とかしてるから)
論文なら学術論文をあたる。
図書館なら国立図書館へ。
それらの信憑性とは、優位性なのだろう。
人は、目上のものを信じる傾向にあるから。
期待をかけて。
逆に言えば、目下の者への態度で一番自分の地が出るということだ。
(ギクって思ったら要注意だ。そこに敬意がなくなっている証拠)
自分の書いたものに責任をもつとは、目下の者への慈愛を含む。
誰に対しても、すべての人に対して敬意を持てる人が、器が大きい人。
そんな、すごい人いるわけない。
私は、そう思った。
できるだけ自分の器を広げて、許容範囲を広げて
隣人を愛するように、憎しみを慈愛に変化できたらもう最強だ。
そんな人、いるのだろうか?
キリスト?仏陀?孔子?ガンジー?マザーテレサ?
敬意を持ちたくなる人は、「影響力」を持っている。
1人の人間として、礼節があり素晴らしい。
それぞれのプライド(誇り)を、大切に扱える人。
準備とは、まず自分の器を知っていること。
そして、相手を知ろうと努力し愛情をもって関わろうとするその姿勢。
これらが、文章ににじみ出る。
そんな文章をかけたらすごいね。
そんな文章をつくれたらかっこいい。
これは、頭のよしあしじゃない。
人間性だ。
ずっと向上心を持って己を磨いている。
敬意ある文章を書く人は、己を整えて、準備万全で言葉を放つ。
いつも、悩みながら。
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