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1人酒場飯ーその10「浅草、煮込みの王道を往く」
煮込みとは大衆酒場を映す鏡である。様々な店のすぐに出せるメニューとして酒場の定番であり、牛、豚、鳥などの主役の選択とスジやモツ等の部位と野菜などの具材によって出る下地の味、その店特有の味付けが全て重なることで煮込みという存在は確立されるのである。
ただ単に居酒屋看板の味というわけでない
その店の引き出しの多さと仕事具合を見るための試金石でもあり、無限の味わいを見せる一皿なのである。地域ごとに特徴が大きく変わるのもまた、土地の食文化を投影しているとも言えるのだ。
それ故に『ただか煮込み、されど煮込み。煮込みを馬鹿にするものは泣く』という格言を提案したくなる。
ちなみにこんな格言は存在しない、僕の持論の一つだ。何を言ってるんだ、自分は。そんな持論を御託として並べつつも、僕が出会ってきた煮込みの中で王道を往く一皿を今回はご紹介しよう。
その店があるのは浅草だ。
浅草と言っても多くの大衆酒場があるわけだがその中でも「煮込み」と言えばどうしてもこのお店しか思い浮かばないぐらいに圧倒的な存在感を伴っている。
浅草の呑兵衛たちが集いし、ホッピー通り。平日も休日も早い時間から店が開き、朝から呑兵衛達が肩を寄せ、暖簾を潜っていく。呼子の声が明るく響くディープなエリア。近くのJRAのウィンズから悲喜ごもごもの結果を引き連れて呑兵衛通りに向かっていく。それも浅草の日常の一つだ。
ちょうどウィンズの裏手に当たるのがこのホッピー通りでも指折りの老舗にして、浅草一とも言われる酒場「正ちゃん」だ。
そう、このお店こそ僕が今回紹介したいお店である。呑兵衛達にとっては有名なお店で、多くのファンを獲得している名店だ。
「浅草無双」と勇みよいキャッチフレーズが刻まれた白看板が目立つ店前であるが、外にもテーブル席が設けられ、店内外どちらでも暖かくもてなしてくれるのだが、その店の面構えは渋いを通り越して、燻し銀の香りを漂わせる。
店内を覗いてみればこじんまりした店内でぎゅうぎゅうに詰めれば10人は入れるぐらいの小さな店内。L字型のくすみのかかった木部が地元に、呑兵衛達に愛された証明書というものだ。外のテーブル席は多めの人数に対応しているが、とは言っても仲の良い数名が向かい合って呑んで笑いあうぐらいの感覚だ。
数年前に改装を行ったのだが、それでも野球でいうところの守備固めのバント職人のような立ち振る舞いは水墨画から切り抜いてきたような存在感だ。なるほど、大衆酒場好きなら感涙を禁じ得ないと思う。
僕は立ち寄った際は午後の太陽が燦燦と照っている外を傍目に店内で煮込みとレモンハイの組み合わせでやってスッと切り上げる形がほとんどだ。昼間のアルコールの罪悪感をレモンで誤魔化す罰当たり。
カウンター越しに見えるのは大鍋で煮込まれる牛スジと豆腐のシンプルな煮込み。この鍋には継ぎ足されてきた出汁には店の歴史と記憶、魂が閉じ込めている。
そして注文すれば平皿にこぼれんばかりにスジと汁に染まった豆腐が豪快に盛られる。
何ら変化球などはない。ど真ん中直球の王道煮込みだ。是非ともセピアブラウンの写真に撮っておきたい風格がある。
スジが丁寧に煮込まれているのはこの牛煮込みにおいて最高の調味料だ。スジのトロリとした脂と肉の歯ごたえのバランスをザラメと醤油で味付けされた甘辛さに深みが加わり横縦共に立体的な世界が広がる。豆腐もまた良い。全てがしっかりとハマった一杯だ。
その濃さをサワーで流すと軽やかにすべてが流れていく。何の文句がここにあろうか、いやあるまい。違う、言わせまい、だ。何人たりとも文句を言えない力強さがこの煮込みにはあるのだ。それは浅草を生き抜いていた証である。
実は僕はまだ食べていないがこの煮込みをご飯に乗せた「牛丼」も存在しているのだが、それは読んでくださった貴方が是非味わっていただきたい。僕も食べたいのでその感想は内緒で。
まだまだこの界隈にはお手本のようなお店があるだろう、浅草の街は深くて懐が広い、酒場の宝庫なのだから・・・。
今回のお店
正ちゃん
住所 東京都台東区浅草2-7-13
定休日 月、火
営業時間 平日 お昼過ぎ〜22時
土日 11時〜21時
煮込みが無くなったら終了