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1人酒場飯ーその36「これからとあれから」

 1人グラスを傾け、考える。

日本酒の水面に揺れる店内が静かにぼんやりと映り込んでいた。

 店内には僕を含めカウンターに座る2人だけ。

 数か月前にはあったあの賑やかな声は遠くの幻のように、代わりに自分の体を動かす音だけが途切れ途切れで耳に飛び込んでくる。

 静かすぎる、口のようなため息を織り交ぜながらグイッと水面の現実を飲み干すように口の中へ流し込んだ。
 
 思い返せば、酒場の日常は遠くなった。

 何かが変われば暮らしが変わる、社会が変われば店のあり方が変わる…。

 今世界では今までの日常とこれからの日常の間で揺れ動いている。

それは我が国も例外ではない。

 季節ごとに目的を持った団体客が集い、団体客以外にも同僚や先輩後輩で呑む社会人、気心知れた若者達が酒場に集っていたことだろう。

 だが、その日常は戻れるのか、それとも乖離を繰り返すのか全く先が見えない暗闇の中へと飛び込んでしまったのだ。

 そこに溢れていた「乾杯」の声は聞こえる店も少なくなってしまった。

 哀愁が込み上げてくる、誰も忘れたわけじゃないんだ。その一声は人と人が肩を寄せて語り合うために捨ててはいけない何気ない一言なのだから。

 ふと一人呑みが主流のくせに身も蓋もないことを考えてしまっていたな、そう思いつつも思考はさらに深みへと堕ちていく。

僕が好きなのは酒場であって、決して1人酒が至高と考えているわけじゃない、酒場において最高の調味料なのは『声』なのだ。

 これはどうやっても覆すことのできない酒場という人生交差点の最高の演者。僕は一人で静かにそんな声に耳を傾けるのが好きなんだ、忘れたいわけないじゃないか。

それだけではない、そんな憩いの地は今徐々に追い詰められていっている。

 このパンデミックの煽りを受けるように多くの店が自ら閉じることを選んでいる。今の状況は哀愁そのもの、どれだけの人がその店が閉まることを惜しんだのか、思うだけで心が締め付けられる。

 そこで今でも思い出す酒場がある。

一度だけしか訪れていないが大学生だった僕が最後に足を運んだ神保町の『酔の助』。裏路地にぼんやりと浮かぶ文字に年季の入った扉。

そこを潜ると想像できない世界が広がっていた。小上がりとテーブル席を合わせただけでも100人は入る大箱の店。そのテーブル席の角に座った僕の目に今でも焼き付いて離れないあの燻されたような黒い艶を放つ柱。どんな美術品よりも美しいとまだまだガキだった僕は見とれたのだ。

一人静かに短冊メニューを眺めて、ビールを掲げる店への敬意を込めた小さな乾杯、まだ酒場の世界に入り浸り始めて1年の下戸なひよっこは苦みの奥深さに気が回らず、ただ呑むだけだったかな、いや、そうだった。

グッ、グッと流し込んでいく炭酸の苦みは淡いセピアの思い出。

そう言えばビールに合わせて何を喰ったっけ?ああ、そうだ、思い出した。岩塩ピザだ。薄い生地を程よい塩の軽やかさが包み込んだ一品だった。なんで忘れていたんだろう。

そしてここで初めて小肌というやつを食べたんだ。よう言えばシンコ。小ぶりな身を手作業で3枚におろし酢につけて〆るという繊細な世界に出会った。

僕の原点が新宿の思い出横丁なら僕の懐を深くしたのは間違いなくこの酒場だ。どっしりと草の根を下ろしたこの酒場は僕にとっての大切な一ページだったのだ。

だから知り合いから『酔の助』の閉店を聞いた時は茫然とした。何であんな愛された場所が歴史を締めなければならないのだろう。後悔もした。神保町にはなんか足を運んだのに何故行かなかったのか、ぐるぐると頭の中を回る。

最後にその雄姿を見たのは丁度去年の事。一瞬で全てが過去へと変わってしまった瞬間だった。

 ハッと意識が返ってくる。

 どうやら少しばかり深い思考の海へ沈んでしまっていたようだ。ゆらゆらと継ぎ足していた日本酒が揺れ、天井の灯りが鈍く反射していた。どうやら奥の席にいたお客は帰り、僕一人っきりのようだ。

 考えすぎたかなと、苦々しく笑い、銀鱈の西京焼きに箸を伸ばす。いいじゃないか。ゆったりと味わっているのにどうも箸の動きは重々しい。

移り変わった映像は次の店を思い浮かべさせる。

 その場面は立ち飲み屋。

 僕は思う、究極の乾杯とは見知らぬ人達と肩を並べいつの間にか仲良くなることだと。人と会う機会の減った中で立ち飲み屋の醸し出す異質な風は強烈な刺激だ。

そんな立ち飲みの中に一人で飛び込み、サッと食べてサッと飲んで帰る。すっかり忘れていた醍醐味だ。最後に立ち飲みをしたのはいつか、去年だった。浅草橋の陸橋下の「西口やきとん」。


既に酔いも空回り、フラフラとした足取りでホテルの近くであるその店へと立ち寄った僕は一番奥。厨房側の方へと案内された。

身体の中のアルコールをウーロン茶で薄めながら、炭火焼の香りで誘われて頼んでしまった焼きとんを頬張る。

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周りの雑踏が心地よく鼓膜を揺らす。どうしてこうもこのごちゃごちゃとした空間の空気は落ち着くのだろうか。

それは人と人が肩を寄せ合って暮らしている証拠。誰かの人生と誰かの生き方、誰かの楽しみ、誰かの苦しみ、悲しみ。全てが吐き出される空間が酒場。とりわけ立ち飲みはそんな交わることのない道が入り乱れて、人生交差点のように物語を描いているんだ。だからみんなが集う。

追加で頼んだ塩煮込みの味は涙の味なのか、歓喜の味なのか。分かりやしない。

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サッと外へ抜け出し空を眺める。全ての世界が空の下に繋がっている、これからの乾杯はどうなるのだろうか。顔を見合わせないというやり方で人の絆の結びつきはどうなのだろうか、ふと考えてしまった…。

勝手にブルーに浸るの変わってないな、また酒場に景色が戻ってきてそう思った。改めて思う、新しい時代の乾杯とはどうなるのだろうかという疑問。悩んでしまう、一体酒場文化はどうなるのか?

 それでも僕はこの文化はすたれることなどないと思う、いや、絶対に残る。

形は変わるのか?形は変わらないのか?そんなのは関係ない。そこに人がいる、人と繋がる場所として酒場は必要なのだ。だからこそ、この文化を守っていこう。

ようやく答えを見つけたように外へと出る。さて、このまま次の店を探すとしようか。疑問などいらない、僕は僕の酒場の在り方を突き通すだけなのだから。

今回のお店
 酔の助神保町本店
 閉店

 西口やきとん浅草橋本店
 住所 東京都台東区浅草橋4-10-2
 お問い合わせ番号 03-3864-4869
 定休日 祝日
 営業時間 平日 16時30分~23時
      土曜 16時30分~22時
      日曜 15時~20時
 



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