息子たちへ
だいぶ長らくnoteの前に座らず、久ぶりの投稿です。
書きたいことは山ほどあるけれど、時間と体力が追い付かず。
さて、今日は、三人の息子たちに向けたおじいちゃんのお話。
なかな書きだせなかったけれど、「おじいちゃんとのお別れ会」が今月にあるので。
おじいちゃんは、息子たちのお父さんのお父さん。
長男が生まれる前から6歳になるまでの7年間、私は、夫の実家の近くで暮らしていました。
日中は、仕事をしていたため(この時は、まだお寺の仕事をしていなかった)なかなか”おじいちゃんの家”には、顔を出すことは、出来なかったけれど、週末には、遊びに行っていました。
おじいちゃんは、お寺の住職さん。
毎日、黒い衣を身に着け、お仕事から帰ってきて縁側のいつもの椅子に座り、境内の方を眺めていました。
私がまだ赤ちゃんの長男を連れて遊びに行くと、
「こんにちは。」
とゆったりと笑っていました。
お仕事が終わると衣から洋服に変え、ハイハイの長男は、おじいちゃんの膝の上へ。
長男がよちよち歩きをする頃には、今度は、次男がハイハイでおじいちゃんの膝の上へ。
長男が走り回り、次男がよちよち歩くころ、三男も何とかおじいちゃんの元へ・・。
そんな日々が続くと思っていた日常の中で、おじいちゃんは、病気になり入院することになりました。
まだコロナ禍ではなかったあの頃、おばあちゃんとやお父さんと息子たちは、おじいちゃんのお見舞いに行きました。
夏休みのある日、私は、息子を連れておじいちゃんの病院へ。
ひょっこりベットから顔を出す、長男、次男。
おじいちゃんは、ふいにクローゼットにしまってあるズボンを取ってくれと言いました。
ズボンの中からは、むき出しになった千円札2枚。
おじいちゃんは、長男と次男に一枚ずつ差し出し、
「おこづかいだよ。」
と照れたように笑いました。
帰り道。まだお金の価値も分かっていない、5歳と3歳。
でもおじいちゃんからのプレゼントを握り、
「このお金で本買える?」
と聞いてきました。
「じゃあ、本屋に行こうか。」
と私の提案に、喜んで歩いていました。
本屋さんに付くと、二人が並んで立っていたのは、図鑑コーナーの前。
「これが欲しいんだ。」
長男が指さしたのは、『昆虫の図鑑』でした。
次男もコクコクと笑顔で賛同している。
さてさて・・・
「二人のお金を合わせたらこれが買えるよ。」
二人は、一緒に図鑑を持ってレジの方へ歩いていきました。
おじいちゃんが亡くなったのは、コロナ禍の真っただ中。
もう1年以上もお見舞いに行けなかった状況の中で、おばあちゃんは、病院の窓の下にある土手へ行くことを提案。
あらかじめ伝えておいた時刻に息子たちは、土手でスタンバイ。
窓の前に立つおじいちゃんに手を振りました。
けれど、おじいちゃんに直接会うことはできず、お別れとなりました。
おじいちゃんとの日々は、君たちがとても幼く、記憶に残らないようなものかもしれない。
だけれど、君たちは今存在しているのは、お父さんがいて、おじいちゃんがいて、そのまたひいおじいちゃんがいて、脈々と受け継がれる命のリレーが君たちへと続いているからこそなんだ。
「人は、いづれ、皆、亡くなりますから。」
おじいちゃんが亡くなった日、お父ちゃんが言った言葉。
口下手なお父ちゃんに変わって、お母ちゃんが記しておきます。
君たちのおじいちゃんは、2021年の夏、亡くなったんだよ。