母だって痛かったら泣きたくなるんだ。
ただただ、忙しくてnoteに向かうことも出来ず・・・というのは、言い訳で本当は、自分に打ちのめされていたり。
って本当に打ちのめされていたりします。実際に頭部を。
最近、保育園に通う息子たちがはまっている「うんてい」というもの。
雲梯・・・?あの、チンパンジーのようにぶら下がれる遊具です。
にガツンと頭を打ちました。
帰宅拒否をする息子たちをとっ捕まえる飼育員として、やらかしました。
昨年度からですが、現在うちの保育園では、降園時の園庭開放がありません。
それまで、
「先生さよなら~」
からの、
「ひゃっほい。」
で遊ぶ園児たちの姿が見られたのですが、コロナの影響で園庭が開放されなくなりました。
速やかに帰りましょう。
がお達しとして来ているのですが、このお達しをものともせずなのが、園児。
誰か一人でも遊んでいるお友達を見つけたら、これ見よがしに広い大地へと駆け抜けていく。
まるで久々の放牧のように。
「まぁ、素敵ねペーター!」
なんてハイジのように言ってられません。
ヤギ飼いは、ヤギ飼いとしての仕事を、保護者は、保護者としての仕事をしなければなりません。
「こら~、帰るぞ~!!」
よりにもよって、園庭の一番端のブランコめがけて走っていく、園児を全力疾走で追いかける私、保護者。
もう、今、全力疾走すると足首がパキッと鳴って、ふくらはぎがビンってつるんです。
それでも、捕まえなくちゃ、とっ捕まえなくちゃならないんです。
なぜなら、みんな我慢して帰っているんだから。
年長の次男は、渋々だが、ルールを守らなければならないことを分かりかけている。
問題は、3歳児の三男だ。
とにかくウロチョロする子猿をくノ一のような俊敏さで後をつけていく。
うんていにぶら下がった、今だ!
と飛び掴んだ瞬間、ガツンと頭部の方で音がしました。
と次の瞬間、い、痛い・・・頭が・・・・。
それでも、私は、必死の思いで掴んだ三男を離しませんでした。
そして、片腕で掴んだ三男と、首根っこを掴んだ次男を引きずって、ようやく帰路へ・・・。
なぜ母だけこんな思いをしなければならないのか。
たかが頭部一部分の痛みが、満身創痍のような気がして、
そして、不条理な仕打ちを受けている悲劇のヒロインのような気がして。
いえ、もう、ヒロインになれる歳では、ありませんが。
お風呂入るときに、足やら腰に痣がよくできていて、
あれっ?
と思うのですが、
あぁ、そう言えばあの時できた痣か・・・。
と子どもを追いかけていた記憶やら、子どもがぶつかって来たときの記憶やら、思い返せば、痣ができるような出来事がばっちりあります。
育児をしていたらしょうがないと思うのですが、
いててて・・・。
と泣きたくなることもあります。
子どもがまだ赤子時代のときは、外でも家でも、事故がないように、ケガがないように、いつも四六時中神経をピリつかせていたり。
それでいて、子どもにケガをさせるとかなり落ち込んでいたり。
自分に出来た傷なんかより、子どもに出来た傷にショックを受けたりする。
母親なんだから、それでいいじゃないか。
なんて納得しているのですが、
時々、少しだけ、
「いたい、いたいの飛んでけ~」
と自分で自分を慰めている夜もあります。
そんな夜があったっていいじゃないか。