怒りの向こう側にある感情
こんにちは、紅子(こーこ)です。
大学病院での入院中にものもらいになって悪化して眼科受診をした話を書いたかどうかわすれたのですが、その時に氣づいた話。
視力とか眼圧とか検査されて、診察に呼ばれて「排膿します」と言われて、
「その前にあと1個だけ画像の検査で目が傷ついてないかだけ調べて、その後に排膿します。」と若い兄ちゃん先生に言われました。
で、画像の検査して、その後待つ事1時間くらい…
周りの人はどんどん居なくなって、私しかいないんじゃないの?待合室!状態。
17時になるし、外来終わる時間だし!
ってヤキモキしてたら眼科スタッフの人がきっと「あれ?あの人待ってない?」みたいになって、
その後に「先生、手術に入られたので病棟に戻っててください。またお呼びします。」と言われたのです。
絶対今の時間からまた呼ばれる事なくない?と思いながら、まあ、大学病院は夜でもやってくれるのかしら?と思ってみて病室で待ってみたけど…まあ呼ばれる事なかったよね。
もう2時間無駄にしたわ!
あの検査結果も聞いてないし、やり損じゃない?
これ請求されるのかな?でもDPCだし関係ないのか?
そもそも限度額認定証を出してるから上限までいったら関係ないか…?
でもでも請求起きてたら国民の税金から払われるのよね…。
と、色んな事を考えた。
待たされて結局排膿してもらえないという事に対しての怒り。
もうちょっと早く氣づいてもいいんじゃないの?って怒り。
患者の存在忘れたやろう‥兄ちゃん、って怒り。
病室で悶々としながら、この怒りは一体何なのかを考えていた。
そして辿り着いたのが、
「自分を大切に扱って欲しい」
という氣持ち。
そーか…そうなんだ。
待たされても、氣にかけてくれてる姿勢が見えれば人ってそんなに腹が立たないんじゃないか?
「◯◯さん、順番まであと5人いらっしゃるから時間かかるけどごめんね。」
「◯◯さん、お待たせしてしまってるね、次呼ばれるからね。」
とかとか。
大きな病院では番号で機械管理されてるし、スタッフが患者さんを覚えるのは難しいのかもしれないけど、人がAI、機械に唯一優る事って、相手を氣にかけて声かけをするって事なんじゃないかと思った訳です。
人は誰かに大切に扱われたいんだと思う。
大切にされていないと感じると怒りとか悲しみとか人それぞれだと思うけど、感情が出てくるんだと思う。
そして、自分は自分を大切にしているかな?って氣づきでもある。
ええ、ええ…自分に刺さる様な言葉です。