車いす、旅に出る(沖縄・2日目) タクシーとバスでGO
2日目:タクシーとバスでGO
翌朝。今日はお昼過ぎまで観光タクシーで南部をまわり、夕方からは美浜アメリカンビレッジで夕陽を眺めながらディナーという計画。今日も雨が降りそうで心配だ。
朝9時にタクシーが迎えに来るので、身支度を終えたらフロントに降りた。WHILLから降りて隣のソファーで待っていると、顔の濃い、いかにも沖縄の人らしい男性が入ってきた。私と隣のウィルを見比べて、私に「○○さんですか」と声をかけてきた。はい、と答えると、急にやわらかい笑顔になって「めぐりです。今日はよろしくお願いします」と名乗ってくれた。よく見ると、観光タクシーの会社「めぐり」のサイトに出ていた社長さんだ。社長さんが来るとは思ってなかったので驚いた。
聞くとめぐりは社長さん一人の会社で、予約から運転までこなしているとの事。ホームページは立派だし、車はタイプ毎に何台か所有しているようなので、一人社長とは思いもよらなかった。きっとマルチで行動的な人なのだろう。早速タクシーに乗り込んだ。
最初に「ひめゆりの塔」についた。入り口から大きなマングローブの木に見守られて、ゆるい坂を登ると石碑が見えてくる。私もニュースなどで見知っているものだ。ところがその足元に大きなガマ(鍾乳洞)があることは知らなかった。テレビでは石碑を見上げるアングルばかり注目してその下など見ていなかったが、実際に近づいてみると衝撃を受ける。ここには沖縄陸軍病院が入っていたそうだ。
「あそこに掛けたハシゴから負傷者を背負って運び入れたそうですよ」と、社長さんの説明を聞いて、その姿が目に浮かぶようだった。ニュースでは石碑に向かって献花している姿を見るが、実際は“ガマに向けて”献花をしていたのではないか。私の感想だが、真に迫るその光景に圧倒されてそう思った。私も花を手向け、手のひらが合わない両手で合掌をする。
そのあとで記念館に入る。ひめゆりの塔に関することだけではなく、沖縄戦の背景などを事細かに伝える展示が続く。一通り展示を見て、次の部屋に入る。若干照明を落としている。そこには何人もの犠牲者の写真や手紙が、びっしりと並んでいる。写真たちが私に微笑みかけてくる。手紙たちに吸い寄せられる。大切な人たちが亡くなっていったんだと感じる。
少し息苦しさを感じて、最後の部屋に移る。ガラスの窓が多い明るい。そこには壁にまとめの言葉がつづられていて、そのエッセイのような一節がとても心に響いた。それは「戦争のことを何も知らされていないまま、戦争に駆り出されてしまった」という言葉だ。
多分、あの写真の少女たちは「戦争になっても日本軍が助けてくれる。今は苦しいが、きっと私たちは助かる」と信じた、そんな状況だったのではないか。それが現実は、助けるどころか簡単に切り捨てられてしまった。それに気づいた時の彼女たちの心は、と考えるとやるせない。記念館を出て坂を下りながら、戦争と人の心について考えた。
エンダーバーガーを食す
次はお昼ごはんだ。A&Wという、沖縄限定の有名なハンバーガーショップに行く。沖縄に行ったらこれを食べてみたいと常々思っていたので、観光ルートに入れたのだ。
社長さんに普段何を食べるか聞いてみたら、真っ先に出てきたのが「ルートビア」というコーラと「カーリーフライ」というポテトで、これを勧められた。沖縄では病みつきになる人が多くて、社長さんも「いてもたってもいられない」ぐらいのリアクションを見せた。こちらは拍子抜けだ。
私は気にしてないふりをして、さりげなくハンバーガーのおすすめを聞いてみた。すると「ハンバーガーは別にどこも同じですからねぇ。あえて言うならチーズバーガーかな」。当てが外れた。お店に着いたら店員さんに聞いてみることにしよう。しかし、ルートビアとカーリーフライは頼んでみなければ。「沖縄を満喫する」という目標には近づくし。
A&W糸満支店についた。おすすめを聞くつもりでいたが、入口にあるメニューの看板に「A&W」の名前を冠につけたバーガーがある。「The A&Wバーガー」。あるじゃないか。それにしよう。レジで二人分頼んでさっそく席に着く。
商品は出来上がってから店員が運んでくるらしい。楽しみに待っていると、ルートビアが先に来た。なんとジョッキに入っている。しかもコーラなのに氷がない。社長さんは「これはお替り自由なんですよ」と嬉しそうに言いながら、早くも半分ぐらい飲んでいる。A&W、なんともはや太っ腹な会社だ。
私も飲んでみた。最初シップのにおいと同じ味がして、ん?と思ったが、すぐに消えてしまって飲みにくい感じはない。微炭酸だけど、氷がないので薄くならない。ハマってしまうのも分からなくはないなと思った。ごくり、飲んだ。あれ?うまいかも…。こうやって徐々に虜にしていくのだな。
社長さんは若いころ、よく友達と集まってルートビアとカーリーフライを食べながら楽しく会話していたのだそうだ。その年代から下の世代はA&Wを「エンダー」と呼ぶらしい。かっこいい。「じゃあ〇時にエンダー集合な」などといったのだろう。親世代の「エー・アンド・ダブリュウ」は固いし長いし、失語症には言いづらい。私も使わせてもらうことにした。
残りの品が届いた。まずカーリーフライを食べる。名前の通り、くるくるした形状のフライドポテトだ。香ばしくて、濃い味付けは美味しい。今回はSサイズを頼んだが、マクドナルドのSサイズと同じぐらいの紙の袋に、あふれそうなくらい詰まっている。その大胆さに嬉しくなった。
エンダーバーガーはどうだろう。モッツァレラチーズ、レタスとトマト、それに魚のフライが入っていて盛りだくさんだ。これだけの素材が積み上がっていて、どれだけ口を開けてもかぶりつけそうにない。
ええい、ままよ。顔で食ってやる。口を開けた瞬間に香りが立って、食感も味もガツンと来る、強烈なうまさだった。「何も考えずにかぶりつきな、うまいから」と聞こえてくるようだった。がぶり。とにかく旨い。口で受けきれずに鼻や頬が汚れてしまうが、構うもんか食っちまえ。全部の味が一体となって襲ってくる。ぺろり。一気に食った。つい笑って社長さんを見ると、一緒ににっこりとしていた。充分満足。
ガラス工房で体験する
お店を出ると、牧志駅の近くの国際通りにある那覇市伝統工芸館に向かった。ここでは琉球ガラスの体験工房があり、ロックグラスを作ることができるそうだ。ぜひ作ってみたいが、片手で作業ができるか心配だった。前もって問い合わせしたが、補助するから大丈夫だと言ってくれたので、予約したのだ。
時間前に着いたので、売店で商品を見ていた。中には本格的な壺屋焼のシーサーもあった。ちょっと興味が引かれたが、店内のそのあたりは狭くてWHILLをぶつけるかもしれないと思い、遠慮して遠くから拝見した。
しばらくしたら呼ばれたので、工房へ進む。若い助手がてきぱきと手袋と腕カバーをつけてくれた。火傷予防だろう。本格的になってきた。手際が良く、障害者の補助に慣れているのかもしれない。作業について細かく丁寧に教えていただくのだが、炉に火が入っているので、大きな音がして説明の声をかき消してしまっている。身振り手振りでなんとなくわかるので、それでよしとする。
先生が筒の先に溶けたガラスをつけて、こちらに持ってくる。「吹いてください」と言われて筒から吹くが、思ったより力が要るようでほとんど膨らまない。2回目のチャレンジで思い切り吹いたが、勢いが強かったようで、さっと筒を外されてしまった。しかし良かったようで、次に進む。下に置いてある型にガラスを嵌めながら、もう一度上から空気を吹き込む。これで大体の形と大きさは決まる。
最後に、大きな糸切りばさみのような道具を使ってグラスの入り口を広げる。こちらがはさみを持って構えていると、先生が「はい、今です!回して回して!」と言う。回す?広げるんじゃないの?もしかして俺に言ってるんじゃない?ちょっと混乱した。それでも自分の判断でグラスの入り口を広げて、それで出来上がりとなった。なんとも煮え切らない感じがした。始めの説明を聞き逃したのがいけなかったのか。
それはいいとして、明日の受け取りが楽しみだ。横浜に帰ってからこのグラスを片手に古酒を飲めば、沖縄の旅を終えた後もまた楽しむことができる。そんなちょっとした計画を社長さんに話したら、それならと、古酒を紹介してもらった。金武酒造の龍という。社長さんの出身が金武町なので、地元の酒をぜひ飲んで欲しいそうだ。いいことを聞いた。どこかで売っていればいいが。
予定ではタクシーにはこの後、那覇バスターミナルまで送ってもらうだけだったのだが、予定より早く進んで、あと一時間ほど余裕があった。そこでちょっと寄り道をしてもらうことになった。
1つ目は、先ほどの伝統工芸館の裏手に見つけた那覇大網挽の網だ。出雲大社の大しめ縄を思わせる大きさで、ビルの裏手にこんなものがあるとは想像もつかない。これも伝統工芸の一環なのか。近くに行って説明文を見た。綱引きは毎年10月に行われるようで、実際に使った綱をここで公開しているらしい。独特の形状をしており、迫力がある。実際に見てみたいものだ。
そして2つ目はすぐ近くのやちむんの里だ。「戦後の復興がここから始まった」と言われている国際通りだが、そこで販売される陶器の生産を担っているのがここだそうだ。今は道路もきれいに整備され、観光地化されている雰囲気のある地域だ。ここは車で通っただけなので、車内から写真だけでも撮っておこう。
社長さんにはただタクシーで移動してもらうだけでなく、沖縄の歴史や文化・風俗の話を聞かせてもらい、とても面白く、ためになった。ここでは触れなかった話もある。写真も撮影してくれて、ありがとうございました。那覇バスターミナルに着く。最後は笑顔で帰っていった。
サンセットは雲の向こう
ここからはバスに乗り、美浜アメリカンビレッジに行く。ここでは夕日を見ながらディナーを取ることを楽しみにしていた。若干天気は良くなってきているが、夕日は今のところ見ることができなさそうで、残念だ。
バスを終着まで行かずに途中で降りるのは初めてなので、乗車の際、運転手さんに降車バス停をしっかりと伝えた。沖縄は那覇を出ると緑が多いだろうと思っていたが、この辺りは違うらしい。郊外の住宅地だ。バスは同じような景色の中を淡々と走っていく。やがてうつらうつらし始めた。寝たらまずいと頭では理解していたが、眠気には勝てなかった。
「お客さん、着いたよ。起きて?」運転手さんにトントンと肩をたたかれて、ハッと気が付いた。降りなきゃ、でもどこだっけ…?少しもうろうとしながらWHILLを動かした。「雨だけど、大丈夫?」私を下ろしてから心配そうに聞く。私は空を見上げてはっきりと目が覚めた。小雨だ。「あ、大丈夫です…」そう力なく答えると、バスを見送った。
ついてないな。レインコートを取り出して、頭からかぶる。目的地まで10分ほど行くと、幸いにも小雨は止んできた。着いた頃にはレインコートは要らない状態だ。少しほっとした。
ここはアメリカ南部をイメージさせる建物や石畳が続く。洋服屋、雑貨屋、お土産屋などが所狭しと並んでいて、とても楽しいところだ。迷路のようで、実際に迷いながら見ているのも楽しい。
すると「泡盛屋」というお店を見つけた。先ほど聞いた金武酒造の龍はこの店にあるのだろうか。お店に入って驚いたのは、天井近くまでびっしり泡盛が並んでいることだ。圧倒的な数。多くの酒造会社が思いを込めて作っているのだろう。目移りしながら見ていくと、龍があった。ただしWHILLに座っていたら取れない高さだったので、店員さんに取ってもらった。早くも手に入れるとは。ラッキーだ。
目指すお店は「bistro bomba」という海が見えるお店だ。そのうち着くだろうと、気ままにお店を見て、気ままに歩いていると、ふと海岸が見えた。どうやら本当に着いたらしい。海岸に出ると、木のデッキが延々と続いていて、海のすぐ近くまでせり出している。西の雲は晴れてきて、夕焼け空といえなくもないか。雨も止んだ今、多くの人が海辺の散策を楽しんでいるようだ。
私も少し歩いてみるか。目の高さが上がって、柵を超えて海がよく見える。歩くのはやっぱりいいな。途中、止まってスマホを構えていると、若い女性の2人連れが「写真、撮りましょうか?」と言ってくれた。全く予想していなかったので、つい「いやいや、いいですよ。できますので」と断ってしまった。よく考えたら、私のスナップを撮ろうと言ってくれたのではないか。やっぱり撮ってと、今からは言い出せない。失敗したな。
その2人とはこの旅について少しお話をした。「素敵ですね。リハビリ頑張ってください」と言ってくれた。その一言だけで、もう少し歩けるから不思議なものだ。
夕暮れが近づいてきた。そろそろお店に行こう。今回の目玉、海沿いの店で夕陽を見ながらディナー。最上階にあるようなので、エレベーターで上がる。5回はbistro bomba専用らしく、扉が開いたらもうお店だ。窓際の席に着く。やはり空は雲がでている。でも波の音が聞こえてきて、それはそれでいい雰囲気だ。
ホームページを見たらステーキや骨付き肉のお店だったので、私もそれを頼むつもりだ。片麻痺でも食事ができるように、あらかじめ小さく切っておいてくださいとお願いしたら、快く応じてくれた。
ワインを勧められたが、ここはオリオンビールでしょう。雲の向こうに見える夕陽を感じながら、ビールを半分飲む。ま、いいかな。次に骨付きポークが来た。切ったお肉はきれいに並んでおり、急な注文でも対応する優しさが感じられた。美味しかったが、食べきれずちょっと残してしまった。
日も落ちて、暗くなってきた。店内の明かりが美しい。小さく鳴るジャズとその向こうに聞こえる波の音。変わらないものと変わりゆくものと。時間が過ぎるのを楽しんだ。
帰りがけにシェフが声をかけてくれて、話をした。「美味しかったし、量が多くて満足です」と伝えることができたのは良かった。フロアの女性にはエレベーターまで見送ってもらった。「夕焼けを期待していたのですが、今日は叶わずに残念です。また来る目的が出来ました」と伝えたら、「お待ちしております」と笑顔で答えてくれた。
雨は上がったが、だんだんと気温は下がって寒くなった。これは真冬のコートが要るな。持ってないよ。耐えられなくなって、代わりにレインコートを着る。
美浜アメリカンビレッジから離れた暗い国道でバスを待つ。時刻表を見るがよく見えない。沖縄のバスは遅れることが多いと聞いていたが、10分待っても来ないのでちょっと焦った。何か間違えたかな。するとバスが来た。運転手に車いすを見せるような位置に来ると、停車してすぐに降りてきた。サービスは共通だ。ホッとした。
バスに乗っていて気づいたのだが、こちらの乗客の多くは降車のときバスがきちんと停車してから歩き出すのだ。関東では、危険を伝える車内アナウンスがあっても、停車前であろうがお構いなしに歩き出す。少しでも早くという思いがそうさせるのだろう。
翻ってこのバスである。バスが停留所に停まろうとしても誰も動かないので降りる人はいないのだと思ったが、停止してから当然のように立ち上がって降りた。意外に感じてそれから20人近くを見ていたが、皆似たようなものだ。沖縄の人たちは普通に待っている。余裕が違うなあ。せかせかしてないんだな。
那覇バスセンターまで戻ってきた。隣が旭橋駅で、ホテルまではすぐそこ。寒さの中、レインコートを着て帰る。明日は見たかった首里城だ。どうか晴れますように。(続く)