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『女たちの長谷みち』法性寺一の橋~六地蔵(伏見街道と八科街道)
こんにちは。文来(ブンク)です。
1000年前の『更級日記』、『蜻蛉日記』の著者達の長谷寺詣での道を辿る『女たちの長谷みち』の2回目です。(以前、訪れたところをアップしています)
1回目はこちらから。
法性寺一の橋から六地蔵までの、伏見街道と八科街道を歩きます。
東福寺駅で下車。
北へ五分ぐらい歩くと30年前にも有った泉湯という銭湯が今でも有りました。ここに法性寺の一の橋が架けられていたそうです。
一橋小学校のグランドに小さく復元された一の橋が有りました。
伏見街道では無く、伏水街道と石碑には書いてありました。
Uターンしてすぐ宝珠寺が有り、義経の母、常盤御前が子達を連れての逃避行の途中雪を避けた場所らしいです。
次に法性寺第二橋がガード下に有り、川は暗渠化されたそうです。
次に法性寺に着きます。
今はお寺のワンルームマンションのように小さいですが、創建は関白忠平で、一の橋から四の橋の深草までの広大な寺域を有していたそうですが、後に東福寺が建立されると、衰え衰退したが国宝のニ十七面千手観音が残っているそうです。
三の橋に着きました。
今でも下に川が流れてます。
次に東福寺の参詣道が左側に見えて来ます。
田中神社を過ぎ、伏見人形の老舗、丹嘉を過ぎると両著者に因縁深き伏見稲荷です。
両側に様々な店があります。人通りは多いですが、西洋系の人が多いようです。和服レンタルも暇そうでした。
深草駅を過ぎると第四の橋に着きます。
ここも川が流れてます。
次は藤森神社です。
ここは神功皇后が三韓征伐後に、旗と武具を納めたとされています。
墨染の交差点に着き、左折すると八科街道ですが、右折して三島由紀夫の近代能楽集の卒塔婆小町で、有名な深草少将の屋敷跡の欣浄寺に寄って見ました。
小野小町と深草少将の塚がありました。
塚を取り囲む池は「姿見の池」と呼ばれ、小町が
おもかげの変らで年のつもれかしよしや命にかぎりありとも
と詠んだそうです。
姿見の池↓↓
寺の前の道は、少将の通った願い事の叶わない道だそうで裏から入って裏から出ました。
墨染の交差点まで戻り八科街道の坂を登り伏見北堀公園に少し寄り八科峠に出ると、眺望が開け六地蔵の街が良く見えます。
六地蔵はすごく賑やかな街でビックリしました。
六地蔵のいわれは、かつて有った地蔵サンを平清盛が疫病の侵入を防ぐために交通の要所に分置したそうです。
現代のコロナにも霊木を刻んで交通の要所に設置して、祈祷をするなどしたらおかしいですかね。どうなんでしょうか?