『女たちの長谷みち』で『蜻蛉日記』『更級日記』の作者達の長谷寺詣りの行程をたどる【0130】
こんにちは。文来(ブンク)です。
今日は、『蜻蛉日記』『更級日記』の作者達の長谷寺詣りの行程を追う、『女たちの長谷みち』の最初です。
地下鉄、今出川駅を出たら、
御所を左に見て烏丸通を南に行き、羊羹の虎屋を右に曲がった通りが、かつては道幅30mあったという一条通です。
一条通を行きます。
本町味噌店の室町通を過ぎ、病院のある新町通を過ぎると税務所があります。税務所の敷地がだいたい道綱母の結婚後の家です。
敷地は2200坪との事です。
新町通はかつて、町小路と呼ばれていて、蜻蛉の恋敵が住んでた所です。
なげきつつき ひとり寝る夜のあくるまは いかに久しきものとかは知る
と読み百人一首にも入れられた才色兼備の、焼き餅焼きだったらしいです。
油小路から堀川通迄が、蜻蛉が結婚まで育った家だそうです。敷地は4400坪あったらしいです。
この邸宅の北側の路地が小町通で、小野小町が謡曲「草子院小町」で才色兼備でその上機転と優しさを兼ね備えた、理想的な女として描かれているそうです。
次に進んで一条戻橋です。
これを過ぎ右折するとすぐ阿部晴明神社です。
阿部晴明は、天皇を騙したり術を使ったりで有能な人だったらしいです。
一条通を引き返し、税務所横の西洞院通を南下して府庁横を通り、釜座通をさらに南下します。
一条通の一福久庵さんで昼食取りました。夫婦で27年やってるそうで美味しかったです。
こぬか薬師を過ぎ、二条通を過ぎた所に東三条殿址と石碑があります。
ここは蜻蛉の夫の家です。敷地は10285坪でした。夫は藤原道長の父であり、凄く偉い人なんです。ただ蜻蛉は道長の母ではありません。一夫多妻の世でした。
釜座通は御池通でぶつかり、東へ進むと烏丸御池駅です。
この角が『更級日記』の作者の菅原孝標女の家です。4400坪との事です。
『更級日記』の作者の先祖は、菅原道真で学問の家で、蜻蛉作者は叔母です。学問の家です。石碑も無く可哀想なものです。
近くに在原業平の邸宅址の看板がありました。
御池通を東に進み、寺町通を南に向かいます。近くに本能寺があり、寺町京極通で賑やかになります。
京極の発展は明治後、行政の力によるものだそうです。京極とは、「京都のごく、極めて外れた所」と言う意味らしいです。
寺町通の松原郵便局を右に曲がり松原通を行くと松原橋に来ます。
松原橋は、元の五条大橋で、牛若丸と弁慶が戦ったのはこの橋で今の五条大橋は後に架けられたものです。
橋を渡り大和大路を南下すると五条通に出て方広寺に出ます。太閤に気を使った大石と家康を切ったとイチャモン付けた釣鐘がでかいです。
国立博物館と三十三間堂を過ぎ塩小路通へ出たJR東海道線の陸橋からの眺め良いです。
線路の先の東山連峰。西の夕日の山々など。
いっぱい道間違えました。でも少し詳しくなりました。間違えて進歩する事もあるんですね。ゆっくり、のんびり歩くっていいですね。