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貧困は抜けられます

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今現在貧困に苦しんでいる方。苦しんでいる人を抜けさせようとしている方。貧困問題に興味がある方の為に書いています。これを読むことによって困難や不可能と思われる貧困ぬけでも、実際に抜…
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#教育

貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,1「生まれ」

1972年3月24日広島県福島市で私は生まれました。 福島には何歳までいたかはわかりません。 記…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,2「ディスレクシア」

私はLD(Learning Disability)所謂学習障害です。そしてディスレクシアです。 私がLDになった…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,3「貧困パワハラと地名がわからない幼い頃私の…

私は以前の職場でリストラとリストラする為のパワハラを経験しました。「根回し」という言葉が…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,4「なぬかいち望郷〜教育熱心な我が家が子供を…

なぬかいちだか、なのかいちだかそんな感じの町が岡山にあったと思います。 そこが岡山で最初…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,5「映画ジョーカー」

なぬかいちか、なのかいちか、一家総コミュ障の貧乏人の家庭に生まれ育った私にとって自分の生…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,6「なぬかいち望郷」

なぬかいちだか、なのかいちだかに私が住んでいたのは42年ほど前。当時の記憶はまず、今は無理…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,8「貧困層の慎ましい家庭は、奢らず、前に出ず、人様を立てて生きています。 おとなしく服従されることの美学を教育される。 どんなに苦しくても如何にいい子で辛抱していられるか?私は30年絶えました。そしてやめた。あなたはどうですか?」

私はかすかに幸福感を覚えています。 小学校2年生の時に岡山にいた時です。 あの頃はまだ幸福感を感じることがあった。 それから、九州の小倉に越して以来、未だにあの頃までの幸福感を感じることができません。 思えば岡山にいたのは私の人生の中でたったの2年です。 つまり、私が本当に家庭の暖かさを感じて、家族の幸せを得ることができたのはあの2年しかないのです。 今、50目前にして、やっと少しづつ幸福を得るようになってきています。 それでもまだ子供がいませんが、なんとか人並みの幸せを手に

貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,9「私はディスレクシアです。文字が記憶できな…

私は小学校1年生の時に岡山県岡山市の中心地にある深底小学校に入学します。 そこで学のない、…

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