祈りは意宣る・意乗せる
みなさま、明けましておめでとうございます!
健やかな年末年始をお過ごしいただけたでしょうか?
私は、体も心も緩ませて、ぼーっとしたり、本を読んだりとゆったりと年末年始を過ごすことができました。
本年も「幸せのひきがね」となり得る有益な発信をしていきたいと思います。皆さまにの「幸せのひきがね」となれば幸いです。
さて、皆さんは年始の祈願はしましたか?
私はやはり、この世界に笑顔と活力がより醸成されるように安寧と平和を年始より祈願しています。
今日から仕事や学業などが再開される方が多いかと思いますが、忙殺されて祈願したことを忘却されませんように。
そんなわけで、今日は祈りについてのお話です。
以前にも「祈り」は私たちの意識の奥深くにある願いに気づけることを書きましたが、今日は古神道を参考にして「祈り」のお話をお届けしたいと思います。
山陰神齋80世の表博耀氏によると、古神道は日本古来からの精神文化や生活様式を今に伝えるものと定義されています。
その古神道の伝えでは、祈るの語源は「意宣る」で、祈りとは、神様に何かを頼むことではなく、万世の安泰と使命貫徹の加護を願うこと、だそうです。
祈るの語源は、意を宣言することだったんですね。
世の中の笑顔と活力の醸成、安寧や平和を祈ったら、私はその意があることを宣言したということになります。その為に様々やっていますが、身の引き締まる思いです。
そして、祈るには、もう一つ意味があるようです。それは「意乗せる」。
意を乗せる?何に?
自身の体です。
神に届ける経路である神経回路です。
なるほど、ここからは私の想像ですが、意を神の経路を通して実践し、神へ届けるんですね。そうしているところに神の御加護がやってくる。そうして実践を続けていくことで祈りは成就される。ありそうですね。
今年も素晴らしい一年になり、意宣った事柄の成就を果たせるよう、意乗らせていきましょう。
参考図書:古典神道と山蔭神道 日本超古層【裏】の仕組み/表 博耀 (著)
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今日もお読みいただき、ありがとうございます。
愛・才能・脳力・価値に気づき
愛・才能・脳力・価値を築く
あなたの幸せのひきがねになれば幸いです
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