そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
今月初め、十数年ぶりに数日寝込むほどの風邪をひいてしまいました…。
少し張り切りってハードワークしていたので、ホメオスタシスの仕業が働いたのでしょう。
それとも、運の導きか。
私の「勝手にメンターさん」のひとりであるやなせたかしさんに触れる時間を与えてくれたのかもしれません。
私が今の人生を歩む際、人生の最後の最後まで、何かに情熱を傾け、老若男女の人々の笑顔と活力の中に生きる、といった妄想からロールモデルとして浮かんできたのが、故・やなせたかしさん。大して詳しくもなかったけれど、どこかでみた彼の晩年の映像が浮かんできたのを思い出します。
風邪をひく前日に、どこか導かれるように彼の話題が起こり、改めて彼の人生をもう少し詳しく知ってみよう、と思いました。その翌日に想定外に風邪を引いたわけですが。そして、寝込んだことをいいことに彼の自著や映像記録などを読んだり・みたりしてました。
そうして、久しぶりに「アンパンマンのマーチ」の歌詞を目にしました。
今聞くと、歌詞の奥深さを自身の思いと重ねて、よりじんわりとした幸福感を感じます。
そして、私も幸せのひきがねを引かれたように、誰かの幸せのひきがねを引くかもしれない、と思って、今日はやなせたかしさんの略歴とお言葉をお届けします。
「生きるよろこび」
「生きてるよろこび」も大切にしているけど、「生きるよろこび」も人生を豊かにする要素だと思っています。
私の中では、「生きてる喜び」は感謝の心。「生きるよろこび」は活力や自尊感情を感じる心。喜びの性質が異なるという実感と理解です。
今日いち日は、誰かが生きたかったいち日。明日も生きている保証はない。不運にも災害や事故や病気で明日亡くなるかもしれない。戦渦の中に生きているわけでもない。今日も生きていて、愛する者たちと過ごせ、自然や人々の営みによってお腹が満たされ、ありがたい。これが生きてる喜び。過去によって成り立ち、受動的に得ている喜び。
「生きるよろこび」は未来に希望を抱いて能動的に得にいくよろこびのよう。「現状に不満、もしくは思いっきり不満なんだけど幸せ」という感覚。一見矛盾しているように思うかもしれませんが、「生きる喜び」ってこういう感覚が存在してます。
未来に希望を抱いている状態は、現状に満足できない=不満があって当然なんです。ただゴールへ向かう渦中で沸いている活力やその過程にある様々な縁や学び、成長、ありがたみに出会うんですね。つまり受動的では得難い喜びや幸福感があるんですね。だから「現状に不満、もしくは思いっきり不満なんだけど幸せ」となるのです。
話が膨らみすぎました。。。
やなせたかしさんに話を戻します。
やなせたかしさんは、幼い頃に父を亡くし、母と離別し、弟と共に叔父の家族に育てられました。そして、戦争を経験し愛する弟も戦争で亡くします。そして、戦争前後の「正義」の逆転も体感し、若くして生死感や自身のアイデンティティを考えることが多かったようです。
彼は、34歳で小学生の頃からの夢だった漫画家を目指し独立しますが、なかなか評価されない時代を何十年と過ごします。
会社員時代では、現在でも使われている三越の包装紙を手がけたり(デザインは猪熊源一郎画伯・Mitsukoshiの文字はやなせたかし氏)、独立後に、あの「てのひらを太陽に」の作詞を手がけたり、舞台演出をしたり、構成作家をしたり、テレビ出演をしたり、手塚治虫から美術監督を頼まれたり、と多才な面を持ち、数多くの著名人との関わりがあり、また十分な収入があったようで、一見すると羨ましいほどの才能と縁に恵まれているように思えます。
しかしながら、それでも彼は漫画家として評価を得られず、漫画家としてのアイディンティティを持てないことにとても苦しんでいたようです。彼は30代〜50代を「絶望のトンネルの中にいた」と表現しています。
世間からは成功者と思われていても、自分が望むような生き方ができないのは当人にとって苦しみなんですね。
しかし彼は、周囲や世間が評価してくれなくても、自分が生み出すキャラクターや世界観を信じて表現し続けました。そうして「アンパンマン」を生み出しましたが、その原型となる絵本は彼が59歳の時で、大人からの評価は散々だったみたいです。編集者からは「こんな絵本はもうこれっきりにしてください」と顔をしかめられたり、読者からは「顔をちぎって食べさせるなんて、残酷です」と手紙も来たりしたようです。
人の評価ではなく、自分で自分を評価する・自分が自分を信じてあげることが大切ですね。
大人たちの評価の裏側で、子どもたちは夢中だったようで、幼稚園でも図書館でもボロボロになるほど人気が高かったようで、この子供たちからの人気が後押しとなり、彼が69歳の時「それいけ!アンパンマン」のテレビ放送が開始されました。
しかし、時を同じくして奥様の癌が見つかり「余命3ヶ月」と告げられたそうです。その前から異変には気づいていたようですが、仕事も忙しく病院に連れて行こうとはしなかったようで、取り返しのつかない後悔と悲しみに動くことができなかった、と語られています。
奥様はその後、闘病しながら5年間生き永らえ、彼はこの5年間はかけがえなく、命の尊さを実感する充実した日々でもあった、とも語っています。
そして、彼は74歳の時に故郷の高知県香美市香北町に「やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアム」をオープンさせます。生きているうちに自分の記念館を建てるなんて身の程知らずなんじゃないか、と随分ためらったようですが、元気な間に自分が一番嬉しいことをしたいと思って、このミュージアム建設を人生の最終目標としたそうです。
その後は、「詩とメルヘン館」「記念館別館」などを自費で建てて、町に寄付してもいます。
彼は晩年、79歳から数々の病とともに生きます。心筋梗塞、糖尿病、膵臓炎、緑内障、腎臓癌などを煩い十数回も手術をしていたようです。
それでも、楽しく生きようとオシャレをしたり、ミュージカルをしたり、仕事をしたりして94歳まで生きました。
最後にやなせたかしさんが考え続けたテーマであり、アンパンマンのテーマソングにもなっている言葉をお届けします。
彼は物語も歌も、子ども向け、大人向けとかを区別をしない、子どもも大人も一緒に感動しなくちゃいけない、と思っていたそうで、周囲から「そんな年齢の子どもにはわからない」といわれることがあったそうです。
しかし彼は「わからなくていい」と思う、と語っており、実際子どもは何の苦もなく歌っている、といいます。
「なんのために生まれて なんのために生きるのか」
それは、誰かに決められるものではありません。自分自身で人生に意味付けをしながら生き、そしてその中でまた見出されていくものです。
この人を、この子を愛するために生まれてきた。
自然を愛することの大切さを伝えるために生まれてきた。
人々や動物を助けるために生まれてきた。
人々に笑いを、勇気を与えるために生まれてきた。
人生のステージによって、変遷もあるでしょう。生きる目的は一つだけではないからです。
むしろ、たくさん持っている方がいいのです。
たくさん持っていると、生きる動機がたくさんできて、喜びの機会もたくさん得られます。
だから生きる目的をたくさん持って、たくさんの「生きるよろこび」を得ていきましょう。
参考図書:
なんのために生まれてきたの? やなせたかし
やなせたかし 明日をひらく言葉 PHP研究所
"スキ" や 感想などの"コメント"いただけると励みになります♪
私のコーチングやグラフィックに興味・応援いただけます方は、↓もご覧くださいませ♪
■私のコーチングhttps://kodaioka.amebaownd.com/pages/8231147/page_202409100931