【ひとりごと】酒は“飲む”ものだ。“呑む”ものじゃない。
今回はちょっとした言葉の意味について、標題のことについて話しておきます。
ただ、僕のこの標題については強制するものではありません。そのことをご理解頂ければと存じます。
僕のネット上の活動や書き込みをご存じの方であれば、僕の発言の殆どについて「酒の良さを啓蒙している」人間と思われてしまうかもしれません。
従って、酒に魂を売った人間だの、酒を飲ませるための走狗だの、そう呼んで頂いて一向に構いません。自覚はありますし、そう言われて反論できませんから。
ですが、そんな人間であるからこそ、酒を“呑む”ことを否定したいのです。
言葉遊びも大概にしろ?そうですね。
言ってることとやってることが違うだろ?そうですね。
モラルを語れるほど立派な肩書をもってない曲学阿世の輩のくせに偉そうな口叩くな?そうですね。
僕も睡眠催促のために酒飲んでスイッチとしていますから人のこと言えません。生活リズムを整えるためと思ったら飲みすぎて失敗したことあります。でもだからこそ言いたいのです。
実際アルコールは肝臓を悪くしますし、依存性もあります。ワイドショーで飲酒運転をはじめアルコール関連の事件が取り上げられない年はありません。毎年誰かしらやらかしています。
ある日本酒の会では、酔っぱらうのをいいことに男性会員が女性会員を誘い、隠れてみだらな行為に耽っているとも聞いたことがあります。まったくもって破廉恥の極みです。
そんな醜聞を醜聞と吐き捨てようものならば「同じ穴の狢のくせに」とも言われかねません。そうですね。その通りですとも。
“呑む”とは、大きな口を開けて飲み込むような飲み方を表現した言葉です。“丸呑み”、“鵜呑み”などの言葉がありますよね。
まるで流し込むように酒を消化していく様を、人は“酒を呑む”という言葉で表したに違いありません。有名な妖怪に酒呑童子という鬼の首領がいますが、恐ろしい程に大酒飲みであったことからそう名付けられていますし。
要はですね、“呑む”ほどにまで酩酊して意識が朦朧とするまでアルコールを摂取する人が多く見受けられるんですよね。あなた方人間は酒呑童子のような化け物じゃないんだから、許容範囲ぐらいあるでしょうと。
それでも人は、無礼講だの華金だのと理由をつけては、際限なく飲んだくれる人が多いように見えますね。酒を飲むことが目的ではなく、“酔う”ことが目的になっているようにも……
「酒なんてそんなもんだろ」「酒はワイワイ飲んで、どんどん飲んで、騒ぐためのもの」と言うのでしょう。いやぁ幸せな人たちです。ええ。
獺祭のキャッチコピー「酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて」を造り手も売り手も飲む側も貫徹してくれるのなら、どれほど良いことか。
そりゃ、世の中大変なこと多いですしね。
毎日のようにストレスも溜まります。人に怒って人に怒られて、成功にぬか喜びすることも許されず失敗を挽回しようとする日々……仕事や家庭など日常の不平不満に沈む気持ちを、すぐにでも忘れて明日も元気に頑張りたいですよね。酒を飲む人達はみんなそんな身分です。
でも、そんな不平不満まであなたは“呑んで”いませんか?
そのとき、その酒は本当に美味しいですか?
このことに気が付かなければ、“酔うための酒”として無為に消化されていくだけです。そうなれば、体も心も傷つけます。
そうなる前に、気がついて欲しいのです。その酒は本当に貴方のためにある酒なのか?と。
酒は精神安定剤じゃないんです。まずは嗜好品であると知ること。それが酒を極める第一歩です。