社長の究極の仕事は「引退」である
社長の最後にして究極の仕事は「引退」です。
あたりまえですが、ひとりの人間が永遠に社長をできるわけではありません。優れた会社は、どんなに経営者が変わっても成長し続けるものです。
事業を永続的にやっていきたいのであれば「上手に引退」することがやはり重要になってきます。
きれいに身を引いて、次の世代に引き継いでいく。
そのためには、社長在任中に「引退しても回る組織」を作っておくことが大切です。
そこで今回は「社長が引退してもきちんと回る組織」にするにはどうすればいいかをお伝えしたいと思います。
「カリスマ」の功罪
社長、特に創業社長に多いのが、その「個性」や「カリスマ性」で会社を引っ張っていくスタイルです。
そういう組織では「社長の発言そのものがルール」になっています。
よく社長のひとことで会社の方針が変わったり、人事評価が決まる会社があります。そういう会社は社長が変わった途端にうまくいかなくなります。
これまで「社長のカリスマ性」で許されていたものが、許されなくなるからです。
カリスマ経営者の発言は「天気」のようなもの。
だから社員も、理不尽な人事があったとしても「なんであの人が厚遇されてるんだよ!」といった不満には向かいません。そうではなく「社長に好かれるのはああいうタイプなんだな」といった妙な納得につながったりします。
先代が「神様」になっている組織は危ない
また、こんな会社はないでしょうか?
社長を引退したはずなのに、会長や顧問といった形で会社に残り、「会議で先代がイヤな顔をした」というだけで、その反応がそのままルールに反映されていくような会社。
もしくは、先代が「神様」のようになっていて、現場に下りてこない。そのため社員が「先代はこう考えてるんじゃないか」と勝手に先回りして想像しながらルールが決まっていく会社。
そういったことが起きるのは、先代がまさに「カリスマ」だからです。
カリスマというのは位置としては「何があっても上」の存在。だから何があっても社員はカリスマを「評価」しません。
ただ、二代目以降はそのカリスマ性が通用しなくなります。何が起きるかというと、従業員が社長のことを「評価」し始めるのです。
すると社員の中に不満が溜まっていき、社長の言うことを聞かなくなり、組織は崩れていきます。
暗黙のルールを「明文化」せよ
「社長が引退してもきちんと回る組織」にするにはどうすればいいか?
まず必要なのは、明文化された「ルール」です。
ルールがない状態でカリスマがいなくなると、指揮系統がメチャクチャになり、組織は回らなくなります。
そこで社長の考えをきちんと言語化することが大切なのです。
もちろん、カリスマ性を無理に消す必要はありません。ただそのカリスマ性を「属人性」で終わらせずに、ちゃんと言語化して「ルール」にまで落とし込む。
そうすることで、永続する会社になります。
ルールの内容は、ゼロから新しいものを考える必要はありません。現状を可視化すればいいだけ。
これまで「暗黙の了解」だったルール、もしくは社長の頭のなかにだけにあった「評価基準」や「会社の経営方針」を明文化していけばいいのです。
ある会社では、創業者である社長が引退する前に1冊の本をまとめました。
それまで自らのカリスマ性で会社を引っ張ってきたのですが、次の代に引き継ぐため「経営の原則」「採用の基準」など、自分が考えてきたことや実践してきたことを言葉にし、整理していったのです。
その本を社員たちに配り、後継者はことあるごとにその本の教えに従って経営を進めたそうです。今でもその会社は成長し続けています。
これはカリスマ性をルールに移行してうまくいった例だと思います。
「社長のもと」ではなく「理念のもと」に集う会社へ
ルールは「会社の理念」を実現するためのものです。
その理念をきちっと言葉にしておくことが大切なのは、言うまでもありません。
社長が変わってもうまくいく会社は「社長という一個人のもとに社員が集まる会社」ではありません。「理念のもとに社員が集まる会社」です。
会社も、商品も、時代の環境に応じて変わっていきます。そのときにいちばん変わらない存在は、やはり「理念」です。
私も環境の変化に合わせて会社を変化させていきますが、つねに考えているのは「理念に近づいているのか」ということ。そこを軸に日々、意思決定しています。
そうやっているうちに、僕の存在がどんどん消えていって、理念のもとに集まっていく。これがいちばん美しいあり方です。
社長という個人が決めるのではなく「理念に近づいてるかどうか」で決まっていくようになれば、究極的には誰が後継者になったとしても意思決定にズレはなくなっていくはずなのです。
事業承継とは単なる「社長交代」である
「事業承継」という言葉がありますが、私からするとちょっと大げさな言葉だなと思います。
事業承継とは単なる「社長交代」だからです。
なぜ「事業承継」というような大げさな表現になるのか。それは、多くの企業がカリスマ性や人間性といった属人的なものに経営を頼りすぎているからではないでしょうか。
属人性ではなく、ルールや仕組み、理念によって動く組織になっていれば、事業承継というのは「社長という役割をする人が変わるだけ」というシンプルなものになるはずです。
「引退」こそが「会社を大切にしている」ということ
引退したあとは、後継者にスパッと責任と権限を渡すことも重要です。
そして余計な口出しをしないこと。
よく見るのが、先代が口では「引退する」と言っておきながら、ことあるごとに後継者のやり方に口を出すことです。引退したあとも先代が会議に出たり、現場に顔を出したりしている場合は要注意です。
「自分がいなくて回るんだったら、それがいちばんいいよな」と口では言いながら、実は心の奥底では「自分がいないとダメだよね」と思っている社長はたくさんいます。
社員たちから「やっぱり社長がいないとダメです」なんて言われると、ちょっとうれしかったりもするでしょう。
人間、みんなそんなものなのだと思います。
それについ口を出してしまうのは、社員や会社に思い入れがあるからこそです。「社員を大切にしたい」という思いから、手取り足取りサポートしたり、社員一人ひとりとコミュニケーションをとって悩み相談にのったりしてしまう。
しかし、本気で「社員を大切にしたい」と思うのであれば「自分がいなくてもまわる組織」をいち早く作るべきなのです。
社長がいつまでも社員の隣にいてあげられるわけではありません。いまこの瞬間だけを見て、社員に優しくしたり、手取り足取りサポートしてしまえば、社員の挑戦する機会は減り、成長は遅くなってしまいます。
親の役目は、子どもが独り立ちできるようにすること
私はよく「親子と一緒である」という話をします。
親の役目は、子どもが独り立ちできるようにすることです。就活などに親が付いていけば、その一瞬はうまくいくかもしれません。しかし長い目で見ると子どもが自分で考えて行動する機会を奪ってしまいます。
「親である私がこの世からいなくなっても、この子は生きていけるかな?」
「この子は、きちんと世の中の役に立つ人間になれるかな?」
そう思うからこそ、手取り足取りサポートしないのです。
経営者に対しても同じようにお伝えしています。
「あなたがいなくなっても、きちんと社員たちは生きていけますか?」
「社員は成長していますか? 社会で生き抜く力をつけていますか?」
事業が永続し、会社が成長し、社員が生きていく力をつけるためにも、社長がいつまでも現場で活躍していてはいけません。
やはり、社長の究極の仕事は「引退」なのです。
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