「長靴」は僕にピッタリだった
人には合う合わないがある。
洋服や髪型、食べ物、人間関係など挙げ始めるとキリがない。
そんな中で「文化」の合う合わないを経験している方はそこまで多くないだろう。
僕はこの「文化」の合う合わないをこの身を持って体験しているからか周りに同じような体験をしている人が多い。俗に言う「類は友を呼ぶ」といったところだろうか。
18歳からイタリアに住み始めた僕であるが、日本で住んでいれば起こっていないような様々な出来事が今までに沢山あった。
中でも上手くいかない事や、辛い事があった時は沈んでしまうことも少なくなかった。
でも不思議と「日本に帰ろう」と気持ちには今まで一度もなったことがない。
こんなこと言うと誤解を生むかもしれないし、何を言ってるんだと思われても仕方ないのだが「イタリア」という国が僕に完全に合っていたのだ。すっぽり、がっちりはまったのだ。
僕はこの国じゃないと生きれない。
日本に帰るとホッとする反面何か息苦しい。
どこかスッポリはまりきらないのだ。
日本人の心や文化を蔑ろにしてイタリア人に変身することはないと先日の記事でも書いたが、日本食は大好きだし、神社や伝統工芸、歴史を勉強することもすごく好きだ。
「粋な心」なんて目に見えなければ、意味を言葉にすることすら難しい、でもそんな尊くてそれを美しいと感じることができる心も大好きだ。
でもそんな国で「住む」ということはまた違う。
イタリアという国を知れば知るほどどんどん深い恋に落ちていく。
政権がとか、マフィアがとか…まだまだ分からないイタリア語はあるし、普段使わないような言葉は忘れてしまうし…ずっと勉強し続けなければいけない。色々とあるのだがそれらも全て引っくるめて「イタリア」なのだ。
パーフェクトな場所など存在しない。
肝心なのはパーフェクトな場所を探すことではなく、その場所に自分がはまるかどうかなのだ。
そしてそのはまる瞬間は直ぐに感じることが出来る。
僕はイタリアが「好き」なのではない。
僕はイタリアで「なければいけない」のだ。
そんな僕にピッタリの「長靴」を履いてこれからもこの人生を歩いていく。
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