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人生の意味や死について

3冊目のアドラー

 今回は人生の意味の心理学(上)著者アルフレッド・アドラー訳岸見一郎の本を読んで感じたことを話させて頂きますね。実はアドラーの本は3冊目で、1冊目が100万部以上売れている有名な嫌われる勇気で、2冊目が幸せになる勇気でした。その2冊を読んだ後に図書館で見かけて借りました。私自身あの2冊はすごく噛み砕いて書いてくれたんじゃないかなと感じていたので、もう一冊読んで、少しアドラーの生の言葉に近いものに触れてみたいなと思い手に取りました。前の2冊と本質的に被る部分はあったものの印象は大分違っていました。前の2冊は人生の3つの課題や愛と勇気に対して対話形式である程度現代の人の感性に寄せて書いてくれているんだと今回この本を読んで感じました。

さらっと概要

 全6章に分かれていて第1章人生の意味、第2章心と身体、第3章劣等コンプレックスと優越コンプレックス、第4章早期回想、第5章夢、第6章家族の影響と6つの章に分かれていて、実際にアドラーの元に訪れた方々とのケーススタディも書いていたので、以前の2冊よりもアドラーが、どんな人々に出会って個人心理学を確立していったかがわかる1冊だと思います。しかし、対話形式じゃないのもあるのか表現も含めてわかりづらかったり、回りくどい言い方の部分が結構あります。

そもそもなんで心理学読もうと思ったの?

 理由は2つあって、1つはアドラーについてもう少し踏み込んで、深く勉強したいと感じたからです。高校3年の時倫理を選択していたので一通り哲学についてはギリシャ哲学から中国の思想も含めて浅く勉強しました。アドラーの本を見かけた時に「懐かしいなぁーでもなんとなくしか俺は、この人の考えを知らない」と思い、純粋に知りたいと思いました。
 二つ目は理学療法士としての勤務の経験からきており、臨床や実生活でも役立てたいと感じたからです。臨床に出るとこの人の人物像や社会的背景から何故、今の性格に至ったのかを想像しないといけない場面が多々出てきます。そう言った時にアドラーは家庭環境や、例えば長男の性格傾向、末子の性格傾向など、社会的な環境や家庭環境が与える影響について細かく分析しており、臨床にも役立つと思いました(活かせているかは知らんけど笑)。

あらゆる自殺は非難

 皆さんは自殺を考えたことはありますか?また頭をよぎったことはありますか?私は高いとこにいる時に下を見て「ここから落ちたら死んじゃう、、、」と思うことはあっても自殺したいと思ったことは27年の人生の中で一度もありません。アドラー曰くあらゆる自殺という行為は全て非難だそうです。例えば、幼少期に父親に辛い体験をさせられ、父親を敵とみなし生きていた少年が、自殺を考えることによって全ての責任を父親のせいにするといった例です。先ほどのは本文を簡潔に引用してみました。わかりづらかったですよね(笑)。いまいちピンとこなかったので私は先ほどの例えでエヴァンゲリオンの碇シンジ君をイメージしました(知らない人はアニメ版の方を是非観てください)。
 要はどのケースであれ周りを非難するための一種の道具、攻撃としての手段や意思表示のように使われている側面があると解釈しました。自殺に限らず、自傷行為や自分を下げるようなネガティブな発言を周りに聞こえるようにしている人も同じ要素があると思います。

死にたいと言われたらなんて答える?

 今まで高齢者の方々から何回も「死にたい、、、」と言われました。しかし、同じ発言でも表情や言い方は様々で、重い障害を患い希望を失ってこの言葉が出た方もいれば、もう思い残すことはないので死にたいとさっぱりした表情で言っている方、キリスト教の布教を50年以上してきて、「いつお迎えが来ても大丈夫なんです、その時が楽しみなんです。」とニコニコと明るい表情でいっている方など色んな方々がいました。
 最後の例の死に対して前向きな方は稀だったので大半は皆さん暗い表情や後ろ向きなトーンで言っていました。私は暗い表情で言っている方に対しては、お孫さんがいれば「お孫さんに〇〇さんの元気な顔見せましょうよ」とか、「私はこれからも〇〇さんの元気な顔を見たいですよ」と、笑顔で返すことが多かった気がします。もちろん状況や相手の方の環境や境遇によっても大きく変わります。これが正解とは思いませんし、一生考えていくテーマだと常々感じています。また、安楽死の問題も議論されていたりするので、今後時代や世代で受け取り方も大きく変わってくる言葉だと思います。皆さんも一度身近な人が自分に死にたいと相談してきたらどうするか、またなんて答えるか、考えてみるのもいいかもしれません、、、。

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