Kodai=Miura
人生は旅であると、サボりもまた人生、やるとまた人生ついに仕事を辞めて旅する日がやってきました。【月日は百代の過客にして】と松尾芭蕉も言っていたような気がします。
私が生きてて初めて労働収入が止まるまでの日記。怖いと言う感覚は有ります。初めてはなんだって怖いものなのではないでしょうか?ただ、誰かに読んで欲しかったり聞いて欲しいわけでもなく、いつか自分が振り返った時の為にただアウトプットをしてみているだけです。
前回シリーズで、風の時代を描く。題名を「カゼノジダイ」のところ「カゼノジタイ」と間違えていた。その為シリーズ化に伴い「カゼノショタイ」に変更。
私にとっての『風の時代』が終了するまでのカウントダウンと、日々の学びをアウトプットする場として。わたしはこのマガジンを書きます。何年後か振り返った時、きっと面白い読み物になってるはず。と願いを込めてます。 何故風の時代なのかと言うと、今までは「やらねばならぬ」と言ってた。毎日投稿しなきゃならぬ。って思っていました。 しかし、違うみたいです。 気が乗ったとき、やろうと思ったときにパッとやる事。 それが大切だとなんだと言う事を学びました。 だから、あげようと思ったら投稿する。 そういう背景からそういうタイトルにしました。
さーけべせつなーのメロディ〜 が2個目のお仕事場で流れていて、死ぬほど懐かしくて懐か死ぬかと思いました。 人生の中でもお店の立ち上げにワーホリで関われるのはとてもとても良いことで、稀有な経験をさせてもらってるなあと三度の礼を感じさせてくれます。 6年5年周期で、いや3年周期で人生は大きく変わり大器晩成の狸である私はその都度「かけがえのない経験をさせてもらったなあ」とありがたみを感じるわけです。 海外に来れば何かが変わる?と言うことは無いです。結局は自分次第で人生大きく
大森と中華料理やさん?に座ってて8人の宴会してる誰だか知らん人たちと相席だった ただ大森はあろうことか、その人たちのご飯を食べ始めたのだ!流石は我らが大森。 いまだに、連絡取ってるのはあずまっくとおおもりだけやし…何年振りに連絡してもつい昨日までいてたかのように話せるのがよかった。 オーストラリアにいたとしても、席があってご飯を食べて…何千年も前からの普遍的なものはどこにいても変わらないのだなあと思うわけです。 これはあくまで、ついこの前の夢の中の話し。ずっと書き溜め
オーストラリアのkenwick(ケンウィック)と言うところに最初の1週間は居てます。 あの時最初は1ヶ月Airbnbでみてて…その後3週間でみて…2週間でみて…「とりあえず1しゅうかんとろか!」に計画変更して本当に本当に良かったです。 ただ、すごく良い家でした、今思えば最後の楽園だったなあ〜と 「駅から徒歩30分かかること」以外は…… 周りの家はとりあえずデカくて、一軒一軒が駐車4台は可能なセブンイレブンくらい敷地は余裕である。 大阪でいえば、位置的には和泉市。そし
箸の概念が無い事が初めてでした。過去になんやかんなで海外に行く事はありましたが、アジア圏だったのでなんやかんや箸がありました。 だから、なんとなく箸もあるんやろうなあって思っていたのですが 想像を、絶するほど箸の概念がありません。 箸ってめっちゃ便利 私の在住しているオーストラリアの Perthは、日本で言えば大阪府 ましてや現在kenwickというところにいるので、さしづめ「和泉市」といったところ。 久住舞さんへ 名前入りの箸を私たちに授けてくれて、本当にありがと
俺のフロスが無い。フロスはどこへ行ってしまったんだ。 私のメンターの1人である人が若い頃インド人のディリップにこう言われたそうだ 「フロスをしろ」と アメリカの名俳優の「トムハンクス」がとある質問に答えたそうだ。 「私は大学で働いていますが、マーケティング戦略の一環で、わが大学が理想とする有名人を選ぶことになりました。選ばれたのはあなたで、それだけ素晴らしいということですの総意として、学生にあなたのようになって欲しいというわけです。さて、それを伝えた上でお聞きしますが
今は許せて居ますが、私は父の在り方がとても嫌で(嫌いとは言って居ない) 昔から本当に嫌で、反面教師でした。 嘘をつく 約束は守らない 行動しない 口だけ 枚挙にいとまがありません。 そんな離婚している父ですが、許せない行動の一つに夜になると起きて、食材を卑しく、せせこましく、バレないように、隠れながら、盗人のように、食べるのです。 別段皿に盛る訳でもなく、昆布とか、ウインナーとか、調理するわけでも無く貪るのです。 お菓子があればお菓子を食べます。 彼は嘘をつきます。
サボり過ぎてしまっていました。最近はそのサボり過ぎていた自分に嫌気がさすこともなくなり、段々自分に期待をしなくなっている気がします。ああ…達観… 本来であれば、かのセニョールの言葉道理に「日記をかけ」を鬼の継続していたはずで、なかなか良い読み物が出来ていたはずです。 さあ、蓋を開けたらどうでしょうか?サボり具合もさることながら、自分自身の在り方に問題視さえもしなくなっているわけです。 「怒られるうちが花」 本当に怒られるうちが花で、いつか自分さえも怒ることを諦める日が来
車に乗る事運転する事 排気ガスが大気汚染をするから大人になっても絶対に運転しないとか言ってました 小さい頃は環境問題に敏感な子供でした。 酸性雨とか大気汚染とか、世界は滅んでしまうのかと思ってました。 ただそれは事実かもしれませんがそういう世界を変えるために小さい頃になりたかったのは環境省の人になる事。 今思えば相当ズレてるなと思いますが…小学生の発想なんてそんなものです。 退職まで残り『126日』
人の生きる理由の一つ。 それは弁明する為に生きるという事だと思います。 自分の考えを証明する為に、人は生きているので、必ずぶつかる反対意見や批判に対して弁明が、必要になります。 人は死んでしまうと弁明することが出来ません。 生きて弁明しないと行けません。
は全てに共通してるものがある事がわかりました。 ふと運転していたら、降りてきました。 その中に「ギャンブル」もいれたかったんですが、語呂が悪かったのでお蔵入り。 ちなみにポンジとは「ポンジスキーム」の事です。 正解は「射倖心」 つまり『幸せを射止める心』です。 人は皆須く幸せになりたいと願っています。 ただこの3つには、幸せになれるかもしれないし、なれないかもしれないという構造を持っています。 これを少し違った角度から見ると、この3つは幸せになれるかも?というよりかは「
一日一回善い行いをする。 という心がけを持って人生に臨む。 そんなスタンスです。 ですが 善い行いとは?一体何を以て善い行いなのか? という疑問も同時に湧くわけですが。 私の会社に「周りの人にいかに迷惑をかけないで生きていくか?」ということに全てを捧げてる女子が居ますが。 ある意味八方美人で、傲慢な考え方に感じました。 そして何より三浦がそれの皺寄せとしての被害を受けて居るという事実。(後日後述) 物事の捉え方は多面的且つ多角的。 すなわち見る人、角度、時間、場所、に
小学生から大学生まで本当に沢山のことを勉強したと思ってて、それは勉学もそうだけど経験としても色々。 子供の頃って大人になったら勉強しなくて良いんだと思ってて、それは全然違うんだなってとてもおもう日々。 大学は経済学部に行ってよかったなあと、心から超思っていて、それは結果的にだけどそこにしか入れなかったというのもあるし。 でもそれよりも気づいてしまったのは、本当に大切なこと?教え? 教育は保育園の時に既に完了していたという事。 人を嫌な気持ちにしたら謝りなさい 人の優しさ無
という四文字熟語を作ってみました。 読んで字の如く「一日一つ捨てる」という意味です。 三浦は元来。勿体無い勿体無いという特性を持っています。これは本当に祖母そして、母譲りの勿体無い性分でして大人になるまで多くが「貰い物」で物が構成されていました。服とかそのほか諸々です。 ほっとくと、全くお金を使わないタイプ。 なんというか、節約が趣味とかそういうことでもなくて。何か目的があるわけでもなくて。それをよく突き詰めて考えてみたら「極力お金を使わない方法でことを為したい」人なだけ
一年前に三浦は大阪に越してきました。とても、三浦の中ではチャレンジングで人生が再び大きく変わったタイミングです。 「人生を変えたければ」という青木さんの話。三浦はとても好き話の一つなのですが、1番簡単なのは「住むところを変える」事なんです。 振り返ると三浦は、社会人になってから1年〜1年半で引っ越しを繰り返し、一つのところにとどまる事がなかった気がします。それって変化をして何か自分を変えたかったのか変えられない自分を棚に上げていたのかそれは後になってみないとわかりません。
と言うことを最近よく考えます。 同じような出来事を、すれば同じようなことが自分に返ってくることがあると言うのは結構あるんじゃないかなと、感じます。 長く同じ場所や環境に身を置いていると、そう言う概念もあるんじゃないかな? という視点で見ていると目の前の人がそう言う出来事に巻き込まれているような気がします。 そこでその人は、されているその出来事の辛さに気づくわけです。 ただその出来事自体が、元々自分がしていた出来事と同じかどうか?に気づいているかは別問題で、側から見たら。
私の会社ではiDeCoニーサの話で盛り上がっています。「どれにするか?」 1番盛り上がっていたのは、研修時にサラッとしかその話が出てこないのと、その決断を決めるのが日本生命の関わり合いか知りませんが3日くらいしか考える余地がない事。 それについて文句をぶちぶち、会社の方々は申しております。 凄く凄く、聞いててモヤモヤするのは、三日間しか考える余地がないことではなくて、あまりにも。あまりにも他人任せというか、人のせいにする思考であるなあと感じてしまうことです。 あとは、周