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Theme 5: リモート(全3話 その2)

remote

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
むかしトランシーバー/いまケータイ


2/3 大人になってからのリモート「仕事」


 研修医になると、ポケットベルを携帯させられて、ポケベルが鳴るたびに病棟や医局に電話をかけなくてはいけませんでした。
 携帯電話を持つ以前は、院外で車を運転しているときには、ポケベルが鳴ると、わざわざ車を停めて公衆電話で病院に電話をしていました。携帯電話を持つようになると、ケータイでの応答や指示が日常的になりました。携帯電話は、仕事を迅速に遂行することを考えると便利であり、ケータイを用いたリモートでの仕事は日常的なことになっていきました。
 携帯電話を持ち始めた頃、私は大学で申請して、初めて電子メールアドレスを取得しました。当時はALメールを使っていて、電子メールを見るために毎日、大学の研究室に足を運んでいたものです。

 時代とともに、私が関わっている団体で日常的にメール会議がおこなわれるようになり、私はフリーメールを用いて自宅や出張先でメール会議に参加するようになりました。電子メールを用いて“リモート”で仕事をしていたといえるでしょう。その後、私の日常生活における、リモートでの仕事の占める割合は、徐々に増えていきました。

 リモートでの仕事は確かに効率的ですが、プライベートな時間とリモートでの仕事の境界がなくなるにつれて、私は、子どもの頃のようにリモート状況を楽しいと感じることはなくなりました。

(Theme 5:リモート 次回につづく)


子どもの頃に感じたリモートの楽しさはどこへ?

それこそトランシーバーで話す楽しさはワクワクしたものでした
「・・・・・です。どうぞ」と
「どうぞ」で相手に言葉のパスを渡して応答を待つやりとりは
とても楽しかった思い出があります
それと今のリモートの便利さは、ずいぶんと違いを感じます
携帯電話も、普及し始めたときにような電波が繋がらない場所も
地下を含めて少なくなりました。
どこでも繋がれる便利さと安心を引き換えに
窮屈さがあったり何か失っているものがあるような気がします
それは いったい何なのでしょうね?

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