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”ひきこもり"の広場へようこそ!

『みんなのひきこもり』をお読みくださった読者の皆さまより
この本で出合えたあなたの"ひきこもり"について
感想やメッセージが届きました
どんな時、どんな風に"ひきこもり"体験をされたのでしょうか?
ご紹介していきます

★★★ 「独り自慢」さん ★★★
子どもの世界でのいじめが引き金となった"ひきこもり"体験があります。
とは言え、自宅でひきこもる勇気はなく、通学しながら数年間の学校生活では他者との「心の距離」を置いて過ごしていたことを記憶しています。
当時はとても長い時間に思えました。
「みんな」と一緒という子ども社会にも存在する「同調圧力」だったのかもしれません。当時の事は過去の古い記憶の奥に眠ってはいます。
今では、その当時の体験からかどうかわかりませんが
『居心地よく一人でいられる力』は身につけられてきたように思えます。
★★★ 「みんなではなく私」さん ★★★
NHKの総力特集を拝見しました!
支援を求めて動き出すのは、本人ではなくご家族が多いこと、また本にもありましたが、支援を求めるまでに「病的ひきこもり」が数年経過していることがあることも、今の日本社会の現状なのだとまざまざと知らされました。そして、日本人の心にある「恥」は深いところにまで突き刺さっているのだと考えさせられました。
支援を求めないまま家族を持たない独居者や高齢者が社会との
繋がりをたち、孤独死に至らないことを願うとともに
専門家だけではなく安心して繋がれる環境が
さまざまな場面、場所にあってほしいと思います。
支援を求めることができるまでに前へ進めるサポートは
どのようにできるか探りたいです。
★★★ 「ひとり言好き」さん ★★★
コロナ禍の現状、がっつりリモートワークになり、毎日満員電車で通勤して会社に行き、周りに人が居ながら仕事するよりも、ストレスが少なくなったと言っている人も周りにちらほらいます。
会社で働くこと、これまでの日本社会での職場における人間関係、人との距離がコロナの影響により変化していくのでしょうか。
まだまだリアルで人の温度を感じれることを望んでしまう自分にとって、
この世に生きる人間に何が「健全な状態」なのか、
いろいろ思いを巡らせます。
人は人を感じながら生きていくことに変わりはないのでしょうが

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『みんなのひきこもり』 も ”ひきこもり”広場 も
なんだか【逆説的】な不思議な言葉のように思えたりします
「みんな」に「自分」は含まれるのでしょうか?
「ひきこもり」に広場はどう存在するのでしょうか?
つながり時代にどう生きますか?

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