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09: 逃げるのは「かっこわるい」こと… だった

加藤隆弘(かとう・ たかひろ)
九州大学大学院医学研究院精神病態医学 准教授
(分子細胞研究室・グループ長)
九州大学病院 気分障害ひきこもり外来・主宰
医学博士・精神分析家

『みんなのひきこもり』(木立の文庫, 2020年)
『メンタルヘルスファーストエイド』(編著: 創元社, 2021年)
『北山理論の発見』(共著: 創元社, 2015年)

 2005年の発表エピソードを改めて振り返ってみましょう。
私の主観としては「これまでひきこもって逃げ続けていた人生を脱皮して、逃げずに人前で発表してみよう!」といった気持があったことは確かです。
 他者の主観としては、どうでしょう。当時の私自身の他者との関わりを振り返ってみると、『自分は引っ込み思案です』とか『逃げたい気持で一杯です』みたいなことを他人に口にしたことがなかったと思うのです。であれば、他者から加藤をみると、加藤が「逃げたい」気持を持っていたなんて、みじんも感じていなかったかもしれないのです。“逃げる”にまつわる独り芝居を、独りで自作自演していたのかもしれないなって、少し気恥ずかしく振り返るようになりました。

ここまで前回

 2005年当時を振り返り、“逃げる”にまつわる自作自演を続けていたことに気づかされた私は、今更ながら気恥ずかしくなりました。なぜ当時、私は自作自演していたのでしょう。私のこころの奥底には、昔から「逃げるなんてかっこ悪い」「逃げるのは弱虫だ!」みたいな、“逃げる”にまつわる恥意識があったようです。

 中学時代、私は野球部に所属していました。田舎の学校でして、男子は当然のように体育会系の部活に入るという風土のなかで、周りの友達と同じように、当時「かっこいい」と思い描いていた野球部に入部したのです。
 もし運動神経がよければ、私は苦悩することなく野球部の三年間を快適に過ごすことができていたかもしれません。ところがどっこい、当時から「背高のっぽ」だった私は、周りから多少期待されていたかもしれませんが、じつは大の運動音痴なのです。マッチ棒のように突っ立ってノロノロしている私の股の間をボールが通り抜けることは日常茶飯事で、『腰が高い! もっと腰を下ろせ!』『もっと機敏に動けないのか!』と怒鳴られ続けていました(いまでも正直、「腰が高い」という意味がわかりません)。
 そんな私は、同級生のほとんどがレギュラーになるなか、三年生になっても補欠でしたが、「途中で逃げるなんて、かっこわるい」という無意識の聲のためか、辞めずに最後まで球拾いをしていました。――夏の最終試合、ベンチウォーマーとして負け戦を傍観していた私ですが、なんと、9回2アウトの瀬戸際に監督から『出て来い!』と代打を命じられたのです。……当然ですが、空振り三振、ゲームセット。

 実はいま、久々の出張の最中で、ホテルの室内で原稿を執筆しています。

 隣に野球場があり、さきほどまで中学生か高校生とおぼしき白と青のユニフォームの野球部員が対抗試合をやっていて、久しぶりに野球を眺める機会に恵まれました。空振りするバッターの姿を目にし、そして、ゲームセットのサイレンの音を聞き、14歳の夏の記憶が蘇ってきたのです。
 試合の後、レギュラーで頑張っていた同級生が涙を流すなか、泣き虫の私の目からは涙が一滴も出ませんでした、ただただ、独りで、呆然と芝生を眺めていました。そのとき私は、初めて「無力感」「絶望感」というものを味わったのかもしれません。途中で部活を辞めて逃げていれば、負け戦のラストバッターにならずに済んだかもしれなかったのです。

 それはそうと……ホテルの室内で耳にした、ゲームセットのサイレンの音。8月15日の終戦記念日に流れるサイレンの音と似ていました。――幼い頃から持ち続けてきた「逃げるは恥」という無意識の聲は、私だけでなく、私たち日本人の多くが戦前から持っている心性かもしれないなと、ふと思ったのです。

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