「誰かを助ける」学びと課題
こんにちは、天野こだちです。
Twitter(と言い張る)に書いていたことを、深掘りしてまとめていきます。
きっかけは、私がはまっている某ソーシャルゲームに、新人さんがデビューした! と、古参プレーヤーがわらわらと寄り集まって、あーだこーだとwikiよろしく「指導」し始める姿が、毎度、嫌だなぁ……と思っていたこと。
個人的に、「どんなゲームでも最初は手探りで、行き詰ったらwikiを見たい」タイプなので、「新人さんが進捗をアップしているだけなのに、古参プレーヤーがどんどん情報を押し付けていく」姿は、嫌悪感しかなかった。
情報を求めて効率よくゲームをしたい人「ばかりじゃない」。
ゲーム開始時に、「何もわからないまま手探りでちょっとずつ理解していきたい」、その過程を楽しみたい人だって、いるのになぁ……という。
そんな感じで、転ばぬ先の杖どころか、転んでもない人に先回りして手を差し伸べることが、何を意味しているのか? というところを、深く考えてみた結果です。
もちろん、異論も意見もあると思います。
ぜひ、聞かせて下さい。
「助ける」とは
コトバンクはこれでした。
主に3の「助ける」についてのお話です。
不十分だから何かがうまくいかない。
声をかけるなり手をかけるなり、具体的にやって見せるなりして、相手がうまくいくように、助力する。
うん、よくありますね。
当然、私もしてもらうことが多々あるし、してもらった記憶がある人がほとんどでしょう。
では、健全な「助ける」という行為について、考えてみましょう。
健全不健全
「助ける」という行為に、健全も何もないと思った人は、一旦落ち着いて下さいね。
健全不健全は、人間ですから当然あるものです。
健全な行為だけの世界では、人間は存在出来ません。
そもそも人間がそういう存在だからですが、今回の本筋ではないので割愛します。
健全な「助ける」という行為
「助けて下さい」
「助けます」
「ありがとう」
「どういたしまして」
これが、健全な行為。
求められたから応えるという、至極順当でまっとうな、本来の「助ける」という行為であり、その姿です。
あれ? と思った人は、おそらくその通り。
違和感を感じたところが、今回の本題です。
不健全な「助ける」という行為
(なんか困ってるみたいだからやっておこう)
(やってくれた、まあいいや)
求められていないけれど先回りして処理した。
(先回りしてしまう理由は今は横に置いておきます)
相手は、よく分からないけどやらなくて済んだから、「まあいいや」。
求められていないから、当然「ありがとう」「どういたしまして」も発生しません。
発生したとしたら、相手が「されたいあなた」を察したのかもしれませんね?
これが本当に、健全で親切な行為ですか?
この違和感に気付けない場合は、どうやらあなた自身にも問題があるようですよ?
「助ける」の課題
健全な「助ける」は、求められて応じています。
助けを提供する側は、その時点では、先輩であり先達かも知れません。
年齢や立場ではなく、「手段や方法を知っている人と知らない人」の違いです。
先輩なら、見守るのが筋というもの。
どうにもならなくて「助けて下さい」と求められた時に、「いいよ!」と応えるのが、先輩であり先達であり。
そこには、見守ることで「育てる」姿があります。
自分の感情や、親切に隠した知識の押し売りをせず、まずは見守って、応える機会を待つのです。
そうすることで、求める本人が、考えたり行動してみるという試行錯誤から得られる経験や知識が、求めた側に増えていくことこそが、「成長」です。
応える側は、「育てる機会を待つ」ことが課題。
求める側は、「(助けを求める前に)試行錯誤して成長する」ことが、課題。
テストをするのに、まず解答のページを見せてしまう監督官が、どこにいますか?
何故これを、別の問題だと考えているのですか?
「助ける」の学び
応える側があれこれと察して、先回りして、口を出したり手を出したりすることは、「相手の成長のチャンスも同時につぶしている」。
……かも知れません。
自分の学びのチャンスをつぶしていると同時に、相手の成長のチャンスを奪ってしまっている。
奪ったことで、相手に甘えやなまけが出たり、傲慢さが出たりしかねません。
その人の成長が止まるということです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、その可能性は大いにあります。
「たった一度のこと?」かも知れません。
でも、子供のように柔軟でもない大人にとってのたった一度は、最後の一度かも知れない。
しかも、年齢を重ねれば重ねるほど、大人は物覚えが悪くなっていきます。
ついでに要領も悪くなる。
なのに下手なプライドが邪魔して、「助けて」と言いにくくなっていきます。
たった一度のチャンスを奪われて、その後、延々と同じことを繰り返す……なんて、笑えない冗談よりもタチが悪い。
家族や友達、仕事仲間、ママ友やネット上の人間関係で、そういった覚えはありませんか?
学校で、職場で、習い事の教室で……思い出してみたら、「あの時にはっきりと言えたら」なんて、たくさんあるでしょう。
転んで学ぶ「人間」という生物
「先回りして手を出してしまった!」 と、反省するのも、学び。
「助けてって言えばよかった!」と反省するのも、また学び。
どちらか一方だけのチャンスが、巡ってくるとは限りません。
どうせなら、お互いに学ぶチャンスを、しっかり活かしたいですよね。
相手をダメにしてしまうかどうかが、その一度のチャンスにかかっている! かもしれない!!
子供が転びそうだからと、抱き上げてしまうことは何を生むのでしょう?
転び方を知らない大人に育つかもしれません。
転んでも、立ち上がり方も知らないかも。
そもそも、自分が「転んだ」という事実を認識出来ないとしたら?
……笑えない冗談よりもタチが悪い、が、イメージ出来るかもしれません。
正しい在り方、という「線引き」
「助ける」という行為、正しい在り方を、もう一度考えてみて下さいね。
「求められてから応える」という姿勢は、応える側の人にとっても、自分の役割以外のことを「しない」という線引きです。
「やればできるからやってしまえ!」タイプの人には、耳が痛いかも。
(私自身にも特大ブーメランをバンバン飛ばしてます)
「しない」を選択する、決断する、宣言することは、「他人と自分とは全く違う人間だ」とか、「他人と自分の役割は全く違う」ということを、自分に自覚させる行為でもありますね。
相手のことを察して、先回りするということは、「他人を自分の一部として扱っている」。
下手すると、「相手を一人の人間として尊重していない」ことになる……かも……。
人生に失敗は一つもないからこそ
転んでもただでは起きないエジソンが偉大なのは、「学んだことを自覚している」ということ。
「相手を一人の人間として尊重していない」かも知れない。
だいぶ恐ろしいことに気付いたところで、noteに書いておこうと思ったのです。
相手のためどころか、自分のためにもならない!
流石にもったいないですよね。
せっかく、お互いに学ぶチャンスがあるのなら、活かしましょう。
おそらく相手は、チャンスだなんて思っていないでしょうけど。
それはそれでいいんです。
後から振り返ってみて、「……あっ」となることがあったら、それが一番、お互いにしあわせです。
張った伏線が無事に回収される時に、相手のそばにはいないかも知れない。
それでも、やらないよりもやった方が、いくらかマシなのです。
自分のために。
「自分が学ぶときは、相手も学ぶとき」。
試行錯誤しているのは、お互いに同じです。
やっていることが違うだけ。
別々の人間がそれぞれ試行錯誤しているのだから、違うのは当たり前です。
最後に
提出期限とか、取引先があることだったら、いい加減が来た時に口を出して下さいね。
それはそれ、これはこれです。
自分と相手だけの場合とは全然別の問題なので、第三者が関わる分、厳密にしましょう。
第三者の存在自体、学びのチャンスとは関係ないですから。
重要視すべきところがどこなのかは、見極めて下さいね。
特大ブーメランを自分に向かってバンバン投げて、ガスガス刺さっていますが!
自分を大事にすることが、相手を大事にすることにつながる。
同じように、自分が「しない」と決めることが、相手の成長を促す。
……あら、ちょっと素敵かも………?
2024年9月4日
天野こだち
「自分の在り処、在り方」を取り戻しに行くセッション、やってます。
「ここにいる」ことをツンツンしてから、ご依頼者様が「わたしがワタシをむかえにいく」過程を、アシストしています。
まさに「助力」。(わーお伏線回収した!)
※インナーセルフケアは、霊感セッションを一回でも受けたことのある方が対象です。
霊感霊視霊聴霊知、全部使ってのセッションはこちら。
亡くなった方や、虹の橋を渡ったペットちゃんとの、仲介をしています。
今元気なペットちゃんとの通訳もしますよ。
守護さんとのやりとりを仲介することも多いです。
現在、過去、過去世、過去世のパラレルなど、今困ったり悩んでいることの「根っこ」がどこかを、ガチで深掘りもします。
怖くないよー?(ん?)
その他、カードリーディングやアイテム販売など、色々あります。
minneに出張所も出来ました。
まだアイテム数少ないですが、徐々に増やして行きます。
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