見出し画像

【エッセイ】かみさま

どーちーらーに、しーよーうーかーな、てーんーの、かーみーさーまーの、いーうーとーおーり。
帰り道の曲がり角。まっすぐ行った先の次の交差点で曲がるか、今ここで右折してしまおうか。
どちらを選んでも大差はない。
それでも、あの頃の私たちは、毎日「かみさまの言うとおり」の歌を歌い、それに従って帰っていた。まだ黄色いカバーのついたランドセルが重かったころの話だ。

小学一年生の放課後は、彼とよく遊んでいた。クラスも一緒、男女で身長順に1列ずつ並ぶと、私たちは一番前。男女で生まれ月順の出席番号順に1列ずつ並んでも、私たちは一番前。春生まれのちびっこたちは、誰が何と言おうと仲良しの幼馴染だった。
家は歩いて5分くらい。一緒に下校し、家に荷物を置いたら近所の公園や神社で木登りや秘密基地ごっこをした。五時には家に帰りましょう、という学校の門限を超えて遊んでいるのがばれて先生に怒られた時も私たちは互いの手を握っていたし、鳴り止まない私の防犯ブザーを手で包みながら草むらに落としたピンを探してくれたのも彼だった。
当時必死に同級生に隠していた「雷が苦手」という私の短所も、彼は知っていた。
しっかり者の彼が本当は面倒くさがりで、夏休み三日目には朝顔をからしたことを、私も知っていた。

小4の夏、彼は風のように消えた。彼は私に引っ越しのことを言わなかったし、保護者間のうわさで母が教えてくれた彼の引っ越しのことを、私もわざわざ彼に言及しなかった。自分に転校を黙っているからといって、別段彼に怒りの感情もなかった。自分に一番に言ってしかるべきだとも微塵も思わなかった。
一瞬だけ関係性が濃かっただけ。一瞬、強い風が吹いて、私にまとわりついてそのまま去っていった。そんな印象だった。

母は、抗いもせず最後に思い出を残そうと努力する様子もない娘に不思議に思ったようだった。気落ちしすぎて強がっていると勘違いしたのかもしれない。
「そうよね、でも、そういうのって縁、ってところもあるから。縁があればまた会えるわよね。」
そんな慰めの言葉がかけられたように思う。

高校生になった夏、彼に再会した。Instagramを通じて連絡をとったというかつての級友が、連絡先をつないでくれた。SNSというのは、すごい。そんな浅い感動とは裏腹に、完全に彼との距離感を見計り損ねて緊張している自分がいる。彼の引っ越しの詳しい理由も、県外という乏しい情報以上の現住所も全く知らないことにいまさらながら気が付いたのだった。

私のほかに彼と親しかった二人を呼んでこじんまりと行われた食事会では、数年ぶりの再会に緊張感がぬぐえず、ファミレスの片隅に粛然と浮いた空間を生み出していた。
それでも、ぎこちなくゆっくり話は進む。私の知らない数年間の間に、ご両親が離婚していたらどうしよう、今は学校に通ってないとか、訳ありだったらどうしよう。腹の探り合いをしながら、よく知っていたはずの彼をもう一度ひも解いていく。最近は将来のことも真面目に考えているんだ、と言った彼に、なんとなく健全な生活を保っていそうな雰囲気を感じ取り、そこからは高校生らしい会話ができた。そこから先に何を話したのかおもいだせないくらいには愉快な時間を過ごしたはずだ。帰り際、彼は連絡先を交換しよう、と言ってくれた。素直に嬉しかった。今になって、幼馴染がいた、という事実の種を見つけたのだ。これを育てれば、幼馴染がいた、から、幼馴染がいる、が咲くのかもしれない。縁、だったのだ。かみさまがつないでくれたのだ。

初めは、とりとめもないメッセージから始めた。今日はありがとう、また帰ってきたら言うよ。そんなやりとりから、最近の趣味、中学の話、お互いの町の天気の話題に広げた。それなりに楽しかった。
あるとき、大学には行くつもりなの、と聞かれた。一応進学校に通ってるし、周りもそういう雰囲気だし、いくつもりだよ、と答える。本当は、バリバリ行く気だし、やりたいことも行きたい大学もはっきりしていたけど、そのころの私は、中学時代の友人の中では就職も当然の選択肢だということを知り始めていた。進学は当然のような物言いをしたら、新鮮な反応される経験も何度かしていた。そういえば、彼の通う高校の卒業生の進路は、就職と進学、どのくらいの割合なのだろう。やはり、ふとした瞬間に「知らない」が私たちを隔てる。「知らない」だけが原因じゃない。会話をしていても、ぬるぬると表面を滑る感覚。もうそろそろ、波長が合ってもいい時期じゃないか、と思うのに、いつまでたっても薄くも確実な壁を感じるのだ。

「僕はね、大学には行かないようにしようと思うんだ。他に勉強がしたいんだよね。高校を出たら、すぐにでも父の仕事を手伝いたい。」
そうか、大学に行かない選択肢と勉強をするという選択肢は共存し得るんだ、と知る。自分の浅学さを恥じた。
それでも、この彼の話の切り口に、普段のやり取りにない歯切れよさを感じた。心の底から話そうとしてくれている気がした。どんな勉強がしたいの、と嬉しくなって聞く。
「こんな勉強だよ。」
彼は、1時間近くある動画を送ってきた。
「神様っていうのはね、みんなが助け合うことを期待しているんだ。」

ああ、そうか。違和感の正体はこれだったのだ。もし本当に縁で結ばれているなんてロマンにあふれたことがあるのなら、再会からうちとけるまでがもう少し早くてもいいような気はしていた。
「ねえ、あの子の連絡先、くれないかな。」「あの時同じクラスだった○○さんのLINE持ってる?持ってたら、僕も欲しいかも笑笑」
だんだんと増えていく連絡と、取次要請。欲しいかも笑笑、の、笑笑が絶妙に気持ちが悪く、ぞわりと背筋を冷やしてくる。
「この間送ったあの動画、続きもみたいとか思わない?」「会いたいな。勉強を教えるって名目にすれば、いつでも会いに行けるんだけど。」
彼が見ている神は、私がほのかに心のよりどころにした縁結びの神ではないのだ。それなのに、あのときの私は、彼との縁をつなぎなおそうとしてしまった。せっかくの昔からの仲なんだから、仲良くしようと。このつながりを大事にしようと。

て、ん、の、か、み、さ、ま、の、い、う、と、お、り。

下校ルートを決めるために私たちが口にしていた神は、もう彼の中にはいない。


彼との連絡先をすべて消して、4年がたつ。
もう私が彼にこだわる理由もない。
それでも、やはり時おり思い出す。
高校を卒業して数年たった今の彼は、どの神様の下で、何を見ているのだろう、と。



いいなと思ったら応援しよう!

こだち。
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは、カメラのメンテナンスに使わせていただきます!