Neapolitan Song Op.63 『ナポリの歌』 / リムスキー・コルサコフ
のまにまに DTM Orchestra
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『ナポリの歌』作品63(1907年)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ
1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの
登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では
「フニコラーレ(Funicolare)」)の
「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、
当初は利用者が少なかった。
本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、
同社の依頼を受けた作曲家の
ルイージ・デンツァが作曲し、
ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)
(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、
世界最古のコマーシャルソングともいわれる。
「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。
歌詞はナポリ語で書かれており、
内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ
男性が意中の女性への熱い愛と
結婚への思いを歌い上げる、というものである。
なお、題材となったフニコラーレは、
1944年に起きたヴェスヴィオ山の
噴火によって破壊され、運行を終了した。
本作を知ったリヒャルト・シュトラウスは、
これがイタリアに古くから伝わる民謡であると勘違いし、
1886年に作曲した交響的幻想曲『イタリアから』(Aus Italien) に
「フニクリ・フニクラ」のメロディーを取り込んでしまった。
それを知ったデンツァはシュトラウスを訴えて勝訴し、
以降この曲が演奏されるごとにシュトラウスは
デンツァに対して著作権料を支払っていた。
グスタフ・マーラーの『少年の魔法の角笛』
(1899年出版)中の
「美しいラッパが鳴りひびくところ」
「フニクリ・フニクラ」に類似しているという指摘がある。
ニコライ・リムスキー=コルサコフの
『ナポリの歌』作品63(1907年)も
「フニクリ・フニクラ」の主題を使った管弦楽曲である。
アルフレード・カゼッラは『イタリア』作品11(1909年)の
後半に使用している。
リヒャルト・シュトラウスと異なってカゼッラは
デンツァが作曲者であることを知っており、
著作権の問題を解決した上で使用した。
アルノルト・シェーンベルクは1921年に
室内楽用に編曲している
(クラリネット、ギター、マンドリン、弦楽三重奏)。
ハーマン・ベルステッド (Herman Bellstedt) による
『ナポリ民謡の変奏曲』は、
「フニクリ・フニクラ」の主題を使ったコルネットのための
技巧的な変奏曲として知られる。
アネット・ファニセロが1960年発売のアルバム
『ITALIANNETTE』で「Dream Boy」という曲名で
アレンジしたバージョンをカバーした
(1961年にシングルカット)。
歌詞はシャーマン兄弟が新たに書き下ろした。
ルイージ・デンツァ
(Luigi Denza、1846年2月23日
- 1922年1月26日)は、
イタリア、カステッラマーレ・ディ・スタビア出身の作曲家。
ナポリ音楽学校で
サヴェリオ・メルカダンテなどに学ぶ。
卒業後、1879年にロンドンに移住。
1898年、ロンドンの英国王立音楽院の
声楽の教授に就任。
オペラ「ヴァレンシュタインWallenstein」など、
歌曲を中心に数百(約600曲といわれる)の
楽曲を手がける。
中でも、ナポリのヴェスヴィオ火山鋼索鉄道
(フニコラーレ)「ヴェズヴィアナ鋼索線」開通を記念して
1880年に作られた曲「フニクリ・フニクラ」
Funiculì Funiculàが広く知られている。
1922年にロンドンで死去。
Wikipediaより
今回は
交響組曲『シェヘラザード』(作品35)
オペラ『サルタン皇帝』の(熊ん蜂の飛行)
オペラ『金鶏』などを作曲した
リムスキー・コルサコフの作品である。
昔から 《著作権》 のゴタゴタ
かの有名な作曲家も
あったのですね!
(当たり前でしょうが・・・)^^;
ニコライ・リムスキー=コルサコフ
1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの
登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では
「フニコラーレ(Funicolare)」)の
「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、
当初は利用者が少なかった。
本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、
同社の依頼を受けた作曲家の
ルイージ・デンツァが作曲し、
ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)
(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、
世界最古のコマーシャルソングともいわれる。
「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。
歌詞はナポリ語で書かれており、
内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ
男性が意中の女性への熱い愛と
結婚への思いを歌い上げる、というものである。
なお、題材となったフニコラーレは、
1944年に起きたヴェスヴィオ山の
噴火によって破壊され、運行を終了した。
本作を知ったリヒャルト・シュトラウスは、
これがイタリアに古くから伝わる民謡であると勘違いし、
1886年に作曲した交響的幻想曲『イタリアから』(Aus Italien) に
「フニクリ・フニクラ」のメロディーを取り込んでしまった。
それを知ったデンツァはシュトラウスを訴えて勝訴し、
以降この曲が演奏されるごとにシュトラウスは
デンツァに対して著作権料を支払っていた。
グスタフ・マーラーの『少年の魔法の角笛』
(1899年出版)中の
「美しいラッパが鳴りひびくところ」
「フニクリ・フニクラ」に類似しているという指摘がある。
ニコライ・リムスキー=コルサコフの
『ナポリの歌』作品63(1907年)も
「フニクリ・フニクラ」の主題を使った管弦楽曲である。
アルフレード・カゼッラは『イタリア』作品11(1909年)の
後半に使用している。
リヒャルト・シュトラウスと異なってカゼッラは
デンツァが作曲者であることを知っており、
著作権の問題を解決した上で使用した。
アルノルト・シェーンベルクは1921年に
室内楽用に編曲している
(クラリネット、ギター、マンドリン、弦楽三重奏)。
ハーマン・ベルステッド (Herman Bellstedt) による
『ナポリ民謡の変奏曲』は、
「フニクリ・フニクラ」の主題を使ったコルネットのための
技巧的な変奏曲として知られる。
アネット・ファニセロが1960年発売のアルバム
『ITALIANNETTE』で「Dream Boy」という曲名で
アレンジしたバージョンをカバーした
(1961年にシングルカット)。
歌詞はシャーマン兄弟が新たに書き下ろした。
ルイージ・デンツァ
(Luigi Denza、1846年2月23日
- 1922年1月26日)は、
イタリア、カステッラマーレ・ディ・スタビア出身の作曲家。
ナポリ音楽学校で
サヴェリオ・メルカダンテなどに学ぶ。
卒業後、1879年にロンドンに移住。
1898年、ロンドンの英国王立音楽院の
声楽の教授に就任。
オペラ「ヴァレンシュタインWallenstein」など、
歌曲を中心に数百(約600曲といわれる)の
楽曲を手がける。
中でも、ナポリのヴェスヴィオ火山鋼索鉄道
(フニコラーレ)「ヴェズヴィアナ鋼索線」開通を記念して
1880年に作られた曲「フニクリ・フニクラ」
Funiculì Funiculàが広く知られている。
1922年にロンドンで死去。
Wikipediaより
今回は
交響組曲『シェヘラザード』(作品35)
オペラ『サルタン皇帝』の(熊ん蜂の飛行)
オペラ『金鶏』などを作曲した
リムスキー・コルサコフの作品である。
昔から 《著作権》 のゴタゴタ
かの有名な作曲家も
あったのですね!
(当たり前でしょうが・・・)^^;