ラジオドラマ原稿『バーにメニューがない理由』(オトナの恋愛ラジオドラマ・イシダカクテル_2023年11月7日オンエア分)
マスター「どうされますか?」
男「僕はラフロイグのソーダで、君は?」
女「私はじゃあ…ジントニックで」
マスター「かしこまりました」
マスターは愛想良く頷いた。
そして彼女はそのマスターに聞こえないように気をつけながら僕に言った。
女「ねえ、なんでバーってメニューないの?」
男「あーたしかに。あるところもあるよ」
女「知ってるよ。そりゃあるところにはあるよ。あるんだから」
男「怒ってる?」
女「ちょっとね。だってプレッシャーじゃん、まだなに飲もうか決まってないし。メニューあったら、ちょっと考えますって言えるけど」
男「気分を伝えたらおすすめのカクテルを作ってくれるよ」
女「てか私メニュー眺めるのが好きなの」
男「たしかに君はオーダーしたあともメニューを眺めてる。あれはなにをしてるの?」
女「確信したり後悔したりよ。うんこれでよかった、とか、いやーこっちだったかあ、とか。それが楽しんじゃない」
男「棚に並んだボトルを眺めるのは?メニューを見てるのに近いんじゃないかなあ」
女「うーん、ちょっと違うな。文字がいいの」
彼女はそう言いながらもカウンターの棚に並んだボトルを楽しそうに眺めた。
マスター「お待たせしました」
マスターがラフロイグとジントニックを置いた。
マスターが離れたカウンターに座る老紳士に話しかけるのを見て、僕は彼女と乾杯をした。
男「バーにメニューがない理由は、メニューが多すぎて書ききれない、とか、マスターがお客さんに合うものを出したいから、とかいろいろ理由はあるらしいけど。僕の見解は違うんだ」
女「どういう理由でバーにはメニューがないの?」
男「バーでは男も女もかっこよくいたいものだろ」
女「まあそうね」
男「恋人や夫婦でお酒を楽しむなら居酒屋でもいいし家でもいい。でも大切なパートナーと特別な時間を過ごすにはバーがもってこいだ。ゆっくりと大人な時間が楽しめる」
女「それでどうしてメニューがないの?」
男「バーで、パートナーと一緒に過ごしているときはかっこつけていたい。バーの店内は少し薄暗くとてもムーディだ。そんな時に小さな文字が並んだメニューを渡されたらどうだい?僕はまだ大丈夫だけど、もう数年もすれば、メニューを持って遠ざけたり近づけたり。目を細めてる僕を見て君はどう思う」
女「そんなかっこわるいなんて思わないわよ。あー歳とったなお互いって思うくらいかな」
男「君は優しい。でもバーでは現実を受け入れたくない時もあるんだ」
女「ふふふ。おもしろいけど、でも老いるかっこわるいことじゃない」
男「たしかに、あそこに座ってウイスキーを飲んでいる老紳士はかっこいいし素敵だ」
女「動物の中で、人間だけが老いるって知ってた?」
男「うちの実家の猫は老猫だし、友達の家の犬はなかなかの高齢だよ」
女「ペットはね。動物園で人間に育てられてる動物は長生きできるけど、野生で生きる動物たちは老いる前に死んじゃうの」
男「へーそうなんだ」
女「衰えると餌が取れなくなったり、天敵にやられちゃったりするから」
男「そういうもんか」
女「でも人間だけは長生きするの。私も割と長生きしたい」
男「どうしてだい?」
女「なるべく長くあなたと一緒にいたいから」
男「ふふ、うれしいよ」
女「私と一緒にいることが、老人になっても生きる理由であってほしいって思うの」
そのときバーのドアが開いて、老婦が入ってきて、カウンターの奥の老紳士の隣に座った。
男「とてもかっこいい二人だね」
おしまい
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