主将も死球で戦線離脱…高知、飛車角抜きの優勝 1964年夏(中)紙面で振り返る「高知の高校野球」
今春センバツに出場の高知高校は1964(昭和39年)夏、エース・四番とキャプテンの2人を死球で欠きながら甲子園を制した。将棋になぞらえ「飛車角抜きの優勝」と呼ばれた快進撃を、地元紙の高知新聞はどう伝えたのか。当時の紙面をたどってみる。(敬称略)
鉄人と対戦、そしてまたも頭に…
初戦で秋田工業を、次戦で花巻商業を破った高知高校。エース・四番の有藤通世とキャプテン三野幸宏の2人は戦線離脱していた。8月16日に行われた準々決勝の相手は、平安(京滋)だった。今でも平安は「名門」と表現されるが、約60年前の記事でにすでに名門と書かれていた。高知の「飛車角抜き優勝」はまぐれじゃないの?と思われるかもしれないが、このようにちゃんと強豪と当たっている。紙面を見て気がついた。メイン写真は高知が6回に追加点を奪った場面だが、平安のキャッチャーの顔、彫りが深いなあ…。写真説明を見てびっくり。「捕手衣笠」。平安で衣笠…。そう、後年広島で一時代を築き、当時世界記録の2215試合連続出場を樹立した鉄人・衣笠祥雄だった。
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