
TOKYO2020~オリンピックに見てしまった、今の私たちの間にある「分断」の行方①
東京五輪・パラリンピック開催まで、あと十日。
…もはや、誰もが知っている。もう、この催しが、到底”健全”とは言いがたいものになってしまったこと。
それでも、これはとてもデリケートな問題だ。恐らく、誰もが様々な思いや考えを抱え込んだり、持て余したりしているだろうが、自分はこう思う、こう考えると語ることは、難しい。
もちろん、様々な人々が様々な場所で、それぞれの思いを語っているし、それに関する共感が多数、寄せられている場合も少なくはないが、同じくらいの、いや、それ以上の批判の嵐が吹き荒れることも、珍しくはない。
…だから、私のようなちっぽけな人間が、この複雑でデリケートで、それでいて、どこか何かどうしようもなく、暴力的…と、私が感じていることの一片について書き残そうとすることは、とてもとても難しく、空恐ろしいような気持ちがする。
それでも、と、再び書こう。
それでも、私は今、二度とない唯一無二の時間の現場にいる。
ちっぽけな私が考えることが、正しいか間違っているか、書き残すほどの価値があるのかどうか、知らない。
それでも、今のこの時だからこそ見えてきたのかも知れないこと、今、ここにしかないかも知れない思考。これは恐らく、来週には全く変貌している可能性も高いから、今、感じたままに書き残しておこうと思う。
私は、元々、五輪に大きく賛成でも反対でもなかった、と思う。
正直に言えば、え?やるの?本気で?というのが、開催決定の報を聞いた時に思ったことではあった。
なぜなら、日本はずっと景気が悪かったし、土地は狭いし、夏の暑さは容赦ない。世界一大規模な総合スポーツ選手権大会の開催には、適しているというより、無理な条件の方が多いと思った。
が、やると決まったのなら、やるのだろう。それに対して私個人がどう関わるのかと言えば、まあ、仕事の合間の時間があるときに、ちょうど放映されている競技の中継でも眺めて、適当に楽しむだろう。
大規模な施設の建設や運用、大会を支える膨大な数の人たち。お祭り騒ぎやらなんやら、そして宴の後にきっと起こってくるだろう、後始末の問題。
どれもこれも、ちっぽけな個人である私には、直接的に関係がない。
私は、普段から積極的にスポーツ観戦を楽しむタイプの人間ではない。そうかといって、まるっきりその楽しみを知らないわけでもない。これまでの人生の時々で、大相撲の中継にハマったこともあるし、深夜に眠い目をこすりながらウィンブルドンの熱戦に見入ったこともある。
MOTO GPのレースに夢中だったこともあるし、オリンピックで高飛び込みを見るのが好きで、今回もそれについては楽しみにしていた。
しかし、現在は、はっきり反対派だと言わざるを得ない。基本的な理由は、一般的な”反対派”の人々の主張されることと、大きくは違わないと思っていただいていいだろう。
紆余曲折、すったもんだを繰り返して迷走しながら、五輪開催まで二週間を切ったところで、遂に、基本的「無観客」が決定した。…”反対派”からすれば、まあ、”何をか言わん””言わんこっちゃない”というのが、正直な感想だ。とっくの昔にそうなる予測がついていた、と思ってしまうし、何でそうまでしてやる必要があるのかと……、いや、そういうことが書きたかったわけではないから、これ以上はやめておく。
”思ったこと”を書きたくなったのは、ある”賛成派”の方のブログを拝読したからだ。「無観客」の決定に、”反対派”の私は、やっぱりな、と思うのだが、当然ながら、”賛成派”の人はそうではないのだ、ということを実際に知ることができた。
そして、その書き込みを見るまでは、とても楽しんで拝読させていただいていたブログの書き手であるその方と、私のような人間との間にある、何か、どうしようもない「分断」の壁の存在を、はっきりと意識したのである。
(一応、述べておくと、その方のブログというのは、noteで公開されているものではない。こういう場合、ソースを明らかにするべきなのかどうか、初心者である私には、よくわからない。
もしかすると、ソースを伏せたままで一方的に「私はこう思う」などと書いてしまうこともまた、一種の暴力になってしまうのかも知れない…。しかし、この人のこのブログ記事です、などと特定して書くのも、まるで喧嘩を売るような形になりかねない気がする。
そこで、その方のその記事には多くの方々の”まさに、その通り!”という共感コメントが集まっていたこともあり、私自身が”いわゆる反対派”の立場であるのと同様に、その方の意見が、少なくとも一定数の”いわゆる賛成派”の意見のひとつの典型的な形であると仮定して、特定の個人の意見ではなく、一定人数の集約意見のようなものに対する感想であると…。
そういう体裁をとるように努めたい。実際、その方のそのブログの内容だけでなく、他のSNS上で見かける意見などから思ったことも、含まれるから)
クドクド書いて、長々しくなり、時間も過ぎた。
仕事後に帰宅して書き始めたので、もう寝なければ、明日の仕事に障ってしまう。
ここまでで、”序文”である。
また明日の夜、続きを書きたい。