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カンデンスキーの抽象芸術論(3)一般論

③精神の転換

この章はかなり刺激的なところがあります。出だしは精神の三角形の底辺あたりの話から入りかなりネガティブな感じです。それから一気に上層部の話しになります。
自分自身はカンデンスキーには、自分なりの思い入れがありました。
それは何かというと常に新しい感覚や新しい感情というものを見つけだすということだと思います。芸術のなかに今までなかった感覚や感動というものを発見してそれを表現することと思っています。それを具象を超えて抽象という世界に求めたと思っています。
具象による感情の固定化から抽象による感情の流動化をめざしているのではなく抽象による幾何学化による感情の固定化により、かえって芸術家の表現の可能性に期待しているようにも思える。その中で新しい感覚や感情を探し求めるという芸術家の無限の可能性というものにリスペクトをするという人間の可能性や精神性を尊重する態度に感動せざるを得ない。
抽象の幾何学性のなかに感覚や感動の規則性を見出し、そこに止まるのではなく、それを抽象という中で芸術家として能力を発揮して幾何学の理論に基づく組み立てにより、そこから人間の感覚や感情の無限の可能性を求めている。これこそが藝術と思う。これこそが人間的と思う。
科学もこのように考えれば、同じように科学も法則の発見から、それをどのように活用または利用するかは人間の領域と思う。
このような前提で本書を読んでいるのである程度偏向があるというのはいうまでもないことかもしれません。
私がジャズを好きなところもこのようなところかもしれません。
さて、本論に戻りますが、宗教、科学及び道徳が揺すぶられるときに、人間はその眼を外面から転じて自分自身のうちへと向けるという。その中でも、魂のないない内容にすぎぬ現代生活から目を転じて、渇いた魂の非物質的な要求や追求を思うままに満たすような、素材や環境に眼を向けるとのこと。
更にカンデンスキーはメーテルリンクの文学の言葉に内面的な響を感じている。言葉の対象の意味以外に言葉の純粋な響に、現実の対象、ないし後には抽象化された対象と共鳴しているのを無意識的に聞いていると言う。詩や文学はこのような材料を利用して芸術として魂に語りかけているという。音楽の話にも及んでおりドビュッシーやシェーンベルクも出て来る。
最後はやはり画家の話となる。セザンヌは、「静物」を外形上「生命のない」物が内面的に生命をうる、そうした高さにまで引き上げるという。
最後に、マティスー色彩。ピカソー形態。偉大な目標を指し示す二大指標と結んでいる。


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