「ろうか捕り」の話
高知県大月町で農家を営む松田さんがおもしろい話を聞かせてくれた。
松田さんが子供の頃(1940年代)、子供たちの遊び相手はもっぱら虫だった。虫の中でも人気だったのが “ろうか” である。ろうかはギンヤンマをさす大月町の方言である。今のようにナイロンの網が手に入らなかった当時、ろうかは釣るものだった。
ろうか捕りのやりかたは、まず田んぼの畔に生えるゴマから ”ごまちょう(胡麻蝶)” を取ってくるところからはじまる。とれた ”ごまちょう” でろうかのメスを捕まえる。それをアワの穂先にくくりつけてオスがからんでくるのを待つというものである。他の地域で言う、ヤンマ釣りと同じである。
人によって、赤トンボを餌にしてろうかを釣る方法など、やり方はいくつかあったようである。
「ろうか捕りのうまいやつは、ろうか~ろうかろうか~ ちいうように元気に歌わい。自慢やないがわしはろうか捕りが相当うまかったぜ。」
オスをうまくおびき寄せるには、「ろうか~ろうかろうか~」と元気に歌いながら麦わらを振るのが大事なのである。ろうかのなかでも、翅がくすんだあめ色になったギンヤンマの老成個体は特に価値があったらしい。とったろうかは麦わらで編んだかごに入れる。
よほど楽しい思い出だったのだろう、松田さんは声をおどらせて話してくれた。
しかし、田んぼで農薬を使い始めた頃から全くろうかがいなくなったそうである。同じようにチョウやバッタもかなり減った。
当時松田さんが遊んでいた田んぼで私もトンボを探してみた。多くのウスバキトンボに混ざって、たまにギンヤンマがいた。昔に比べると、遊び相手になってくれるほどのろうかはもういないのである。
ろうか捕りは生き物の豊かさのうえに成り立っていた遊びである。野生の生き物や遊び場が減った今、現代の子供たちはろうか捕りのような生き物遊びをしたいと思ってもなかなかできない。子供の頃の松田さんも、まさかろうか捕りが古き良き時代の昔話になってしまうとは思っていなかっただろう。