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きし豆茶探訪記② ~前田さんのきし豆畑~
きし豆茶は、カワラケツメイを加工したお茶を指す高知県での俗称である。私は高知県各地で出会ったきし豆茶農家に話を聞いて回っている。この連載では、きし豆茶と人がどのようにかかわっているかを記録して後世へ残すことを目的とする。
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2020年10月7日、山登りから帰る途中の道で、収穫したばかりのきし豆をリヤカーで運ぶおばあさんを見つけた。さっそく話を聞いてみると、そのおばあさんは前田さんという方で、昭和8年生まれ、毎年自分で消費するだけのきし豆を自宅裏の庭で栽培しているということがわかった。ちょうど収穫した日に見かけたので気づいたが、この時に出会わなければここできし豆茶が栽培されていることを知らないままだった。
前田さんは昭和49年に、物部川河川敷に自生していたカワラケツメイの種をお茶として利用するために採集し、いまにいたるまで当時の株の子孫を累代で栽培している。前田さんが河原からカワラケツメイをとってきた当時の物部川河川敷では、カワラケツメイのほかミツバやカワラナデシコも見られた。野生の植物は香りや食感がよいそうで、前田さんはフキ・ミツバ・カワラケツメイなどいろんな植物を庭に持ち帰ってたのしんでいる。
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手前がカワラケツメイの芽吹き、後ろの枯れた枝のようなものが去年のカワラケツメイ
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8月になると草丈は50㎝ほどになる
きし豆茶は昔から前田さんが住む物部川中流域で飲まれていた。といっても昔からこのあたりではみんながきし豆茶を飲んでいたのではなく、好きな人が栽培して飲む程度だった。いまはほとんどきし豆茶を栽培する人はおらず、60代以下の人はきし豆茶の存在すら知らないことが多いようである。
また、昔からカワラケツメイはどこにでもたくさんはえていた植物ではなく、河原や農地の周辺にぽつぽつとパッチ状にはえていたようである。きし豆茶が欲しい人は、秋に自生のカワラケツメイから種をとってきて、翌年に種まきから育てるという方法が主流だった。
いまの物部川河川敷は芝生張りの堤防になっており、カワラケツメイもカワラナデシコも見られない。前田さんの庭にはえているカワラケツメイは、かつて物部川河川敷に生育していた個体群の貴重な子孫である。
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きれいに整備されており、植生の多様度は低い。ここにはかつてカワラケツメイが生えていた。
しかし、せっかく開発の難を逃れたカワラケツメイは、庭で栽培されているから安心というわけではない。前田さんは足腰の調子が悪くなってきており、畑作業ができるのは今年が最後かもしれない。私はここのカワラケツメイがなくなるのがもったいないと思ったので、前田さんから種をゆずりうけた。
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前田さんの庭のように、きし豆茶の栽培地が意図せずカワラケツメイの遺伝資源の保管場所になっている例は高知県下で多く見られる。きし豆茶を栽培する方々が高齢化することは、カワラケツメイの遺伝資源の喪失にもつながる問題である。われわれのような若い人が、きし豆茶のような身近な伝統文化に目を向けることは、文化の保全につながるだけでなく、遺伝資源の保全のような生物学的意義ももつのではないだろうか。