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フィリピンの歴史と料理(The History of Philippines and Cuisine)


Manila Bay (Photo by Ko-chan 2019)
Bang Silog in Malate (2018)

Restaurant『Metiz』  in Manila

Opened in 2019 after globetrotting Stephan Duhesme returned to his native Philippines, Metiz is a showcase to all things Filipino, using all-local ingredients. The name comes from the French ‘mestizo’, a term that refers to people of mixed Filipino and foreign ancestry, reflecting the chef’s own heritage and the meeting of influences in his native cuisine.

Asia's 50 best Restaurant "Metiz"
I visited 7.June.2024
Chef Stephan Duhesme "Metiz"


フィリピンの歴史を調べる

まず最初に私が知りたかったことは、ホセ・リサールと孫文の二人が、なぜ日本の東京日比谷で暮らしていたのか? という謎でした。それから、私はフィリピン革命と辛亥革命に何か繋がりがあるのではないかと考えるようになりました。
The first thing I wanted to know was why Jose Rizal and Sun Yat-sen both lived in Hibiya, Tokyo, Japan. Then I began to wonder if there was some connection between the Philippine Revolution and the Xinhai Revolution.

José Rizal (ホセ・リザール)


フィリピンの英雄=ホセ・リザールは、1888年に来日して、日比谷のホテルに約一ヶ月間ほど滞在しました。
in 1888 Jose Rezal came to Japan, He stayed in Tokyo for a month.

José Rizal's statue in Hibiya Park
José Rizal (1861.6.19 - 1896.12.30)

ホセ・リサール(フィリピン、カランバ生まれ)は、フィリピンの民族主義運動に影響を与えた愛国者、医師、文学者であった。
José Rizal (born in Calamba, Philippines) was a patriot, physician, and man of letters who influenced the Philippine nationalist movement.

実はフィリピンの国民的英雄ホセ・リーサルの先祖は中国からの移民でした。ホセは中国人クア・イー・ラムの22代目の子孫。ラムは1697年にマニラで35歳でドミンゴ・ラムコとして洗礼を受けています。彼はイントラムロスの近くのパリアン・ゲットーで暮らしていました。
In fact, the ancestors of the Philippine national hero Jose Rizal were Chinese immigrants. Jose is the 22nd generation descendant of the Chinese Cua Yi Lam. Lam was baptized as Domingo Lamco in 1697 at the age of 35 in Manila. He lived in the Parian Ghetto near Intramuros.

中国本土には、マニラより大きなホセ・リサール記念碑があります。
There is a larger José Rizal monument in mainland China than in Manila.

Jose Rizal Park 晋江市シオンゲ村
Sionggue Village, Jinjiang City, Fujian Province

孫文

孫文は、日本の日比谷公園の近くの中山孝麿侯爵邸で暮らしていたことがあります。
Sun Yat-sen once lived at Marquis Nakayama Takamaro's residence near Hibiya Park in Japan.

 孫 文 Sun Yat-sen 1866-1925

孫文がフリーメイソンだったことは有名ですが、フィリピンでもフリーメイソンの父と呼ばれたマルセロ・デル・ピラール、ホセ・リサール、マリアーノ・ポンセ、マビーニ、ボニファシオ、、、
It is well known that Sun Yat-sen was a Freemason, but I believe Jose Rizal, Bonifacio, and Mariano Ponce were also Freemasons.

José Rizal, Marcelo H. del Pilar and Mariano Ponce.

the Philippines. It is estimated that there were 35 masonic lodges in Philippines in 1893 of which 9 were in Manila. The first Filipino freemason was Rosario Villaruel. Trinidad & Josefa Rizal, Marina Dizon, Romualda Lanuza, Purificacion Leyva, & many others join masonic lodge.
フィリピン。 1893年にはフィリピンには35のフリーメーソンのロッジがあり、そのうち9つはマニラにあったと推定されている。最初のフィリピン人フリーメイソンはロザリオ・ビジャルエルでした。トリニダードとホセファ・リサール、マリーナ・ディゾン、ロムアルダ・ラヌーサ、プリフィカシオン・レイバ、その他多くの人々がフリーメーソンのロッジに参加しています。

Jane Morvan

Emilio Jacinto(エミリオ・ハシント)

Emilio Jacinto
1875年12月15日 - 1899年4月16日

エミリオ・ハシントはフィリピン革命の最高位の将校の一人であり、カティプナンの頭脳と呼ばれていました。
Emilio Jacinto was one of the highest-ranking officers in the Philippine Revolution and known as the brains behind the Katipunan.

Kataas-taasang, Kagalang-galang na Katipunan ng mga Anak ng Bayan

マリアーノ・ポンセ Mariano Ponce

Mariano Ponce y Collantes ; March 22, 1863 – May 23, 1918)commonly known as just Mariano Ponce was a Filipino physician, writer, statesman, and active member of the Propaganda Movement.

1898年、エミリオ・アナギルドはポンセを第一フィリピン共和国の代表に選び、彼は革命政府の枠組みを草案する任務を担いました。
そして、ポンセを駐日外交代表に選出しました。彼は武器を購入するために日本を訪れ、中華民国の建国者であり初代総統=孫文と会談しました。その話し合いと交渉を通じて、サン博士とポンセは親しい友人になり、サン博士はポンセにホセ・ラモス・石川という日本人フィリピン人を紹介しました。その任務は、ポンセが革命のための武器や弾薬を購入するのを手伝うためでした。
そもそも孫文はユダヤ人のフリーメイソンで、この時の日本側では、玄洋社が重要な役割を果たしていたと思われます。

In 1898,  Emilio Aguinald chose him to represent the First Philippine Republic. Ponce was tasked to draft a framework of the revolutionary government. In 1898, Emilio Aguinaldo selected him as a diplomatic representative of the First Republic to Japan. He traveled to Japan to seek aid and purchase weapons. During his stay he met with the founder and First President of the Chinese Republic; Sun Yat-Sen.Through discussions and negotiations, Dr. Sun and Ponce became close friends. Dr. Sun introduced Ponce to a Japanese Filipino man named José Ramos Ishikawa, who assisted Ponce in purchasing weapons and munitions for the revolution.The shipment, unfortunately failed to reach the Philippines due to atyphoon off the coast of Formosa.

Mariano Ponce & Sun Yat-Sen(孫文)

🔵【仮説】
この時点での、アギナルド大統領をはじめフィリピン人と孫文との繋がりは、フリーメイソンが関与しているのではないでしょうか?

At this point, could it be that the connection between President Aguinaldo and other Filipinos and Sun Yat-sen was related to Freemasonry?

フィリピンのフリーメイソン Freemason

フィリピンのフリーメイソンは、イタリアやスペインのロッジの影響を受けていました
🇮🇹秘密結社カルボナリ:自由と民主主義のための闘争の重要性
🇮🇹ジュゼッペ・マッツィーニは、1831年に「青年イタリア」を結成。イタリア統一運動。著書:「人間の義務」

 ジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini)
1805年6月22日 - 1872年3月10日

フィリピンのフリーメイソンリーは、スペインのフリーメイソンリーと密接に絡み合って始まり、これはイタリアのアクション・ロッジ、またはレッド・ロッジに基づいていた。そこには、短剣を使う意志を持ち、彼らの計画を達成するために血の海を渡る準備ができた決意ある革命家たちが集まっていた。彼らはマッツィーニやカルボナリによって代表されていた。彼らはスペインに多くの支持者を持ち、フィリピン革命の勃発前の時期にスペインの大オリエントのグランドマスターであるマヌエル・ルイス・ソリラが議長を務めていた。

Juan Carlos Araneta
Manuel Ruiz Zorrilla (22 March 1833 – 13 June 1895) was a Spanish politician.
He served as Prime Minister of Spain

🔴対抗する2つのロッジが生まれた

1860年代までに、フィリピンを訪れる外国人の多くはメイソンであり、シンガポール、香港、ジャワ、マカオ、中国の開港地のロッジのメンバーであった。これは、イギリス、オランダ、フランス、アメリカがそれぞれの植民地的理由からスペインに対して敵意を示していた時期であった。したがって、フィリピンのこれらのロッジで反スペインの精神が徐々に生まれるのは非常に自然なことであった。
 この精神が生まれるのを見て、スペイン海軍の二人の将校、マルカンポとメンデス・ヌニェスは、自らメイソンであり、スペインの利益を守るロッジを設立することでメイソンリー対メイソンリーを対抗させることを決定した。
 こうして、彼らはカビテにロッジ「プリメラ・ルス・フィリピナ」を設立し、ルジタニアの大オリエントの下に置いた。そして、間もなくミンダナオで職務を持つ将校、船員、官吏のための別のロッジをザンボアンガに設立した。

Juan Carlos Araneta

1856年: カビテでプリメーラ・ルス・フィリピーナ・フリーメーソン支部が組織される。スペイン海軍大尉ホセ・マルカンポ・イ・モンヘ (モンジェ) が、ポルトガルのグラン・オリエンテ・ルシターノの後援のもと、カビテ州カウィットにラ・プリメーラ・ルス・フィリピーナを設立。1859年に別の士官カスト・メンデス・ヌニェスが加わり、後にサンボアンガに別の支部が設立された。これらの支部は、海軍、陸軍、政府職員の士官で構成され、全員がスペイン人であった。1862年、マルカンポはミンダナオでイスラム教徒と戦っているときに負傷した。彼とメンデス・ヌニェスはスペインに戻った。マルカンポは後にフィリピンに戻り、1874年6月18日から1877年2月28日までフィリピン総督を務めた。

🇪🇸バルセロナからマニラへ、1889-1896

真のフィリピンのフリーメイソンリーのルーツと考えられるものは、1889年に、 グラン・オリエンテ ・エスパニョールの後援の下、スペインのバルセロナでフィリピンの民族主義者グラシアーノ・ロペス・ハエナによってロギア・レボリューション が組織された ときに芽生えました。
What may be considered the roots of true Philippine Masonry sprouted in 1889 when Logia Revolución was organized by Filipino nationalist Graciano Lopez-Jaena in Barcelona, Spain under the auspices of the Grande Oriente Español.

🇵🇭フィリピンロッジが設立される

ペドロ・セラーノ・ラクトーは、 モイセス・サルバドール(マドリッドで入門)とホセ・A・ラモス(ロンドンで入門)の助けを得て、 ロギア・ニラドを組織しました。 ラモスは初代マスター、サルバドールは上級監視官、セラーノ・ラクトーは書記官であった。 この組織は 1892 年 1 月 6 日に設立され、 1892 年 3 月 20 日にグランデ オリエンテ スペイン紙によってロギア ニラド No 144として正式に承認されました。
Pedro Serrano Laktaw, with the help of Moises Salvador (initiated in Madrid) and Jose A. Ramos (initiated in London), organized Logia Nilad. Ramos was its first Master, Salvador its Senior Warden and Serrano Laktaw, Secretary. It was constituted on January 6, 1892 and duly approved by the Grande Oriente Español as Logia Nilad No 144 on March 20, 1892.

🔵ロッジは地域大評議会を結成

「圧制がある限り、フリーメーソンは存在する。フリーメーソンは抑圧された人々の組織的な抗議にすぎないからだ。そして、政府が修道士たちの手中にあり、彼らの利益のために機能している限り、フィリピンでは圧制が蔓延するだろう。そのため、フィリピンにおける圧制は修道士の寡頭政治と同義であり、圧制と戦うことは修道士と戦うことである。」
“Masonry will exist as long as there is tyranny, for Masonry is but an organized protest of the oppressed. And tyranny will prevail in the Philippines as long as the government remains in the hands of the friars at the service of their interests. For that reason tyranny in the Philippines is synonymous with oligarchy of the friars, and to fight against tyranny is to fight the friars.”

 José Rizal

1896年までに、スペイン政府はフリーメイソンを完全に禁止し、その後の革命ですべてのロッジは活動を停止した。
By 1896, the Spanish government had totally banned Masonry, and with the revolution that followed, all lodges ceased their labors.

フリーメイソンの父=マルセロ・デル・ピラール

カティプナン:フィリピンフリーメイソンの私生児

EL KATIPUNAN: EL HIJO BASTARDO DE LA MASONERÍA FILIPINA

フィリピン人初のフリーメイソン・グランドマスターは1918年のマヌエル・L・ケソン(エミリオ・アギナルドに次ぐフィリピン第2代大統領)であった。 イニシャルMLQでも知られるフィリピンの弁護士、政治家、軍人、政治家、「国語の父」、「近代フィリピン共和国の父」

 マヌエル・L・ケソン(Manuel Luis Quezon y Molina)
1878年8月19日 - 1944年8月1日)

🇨🇳アヘン戦争、そしてフィリピン革命

フィリピン革命 Philippines Revolution

Philippines Revolution was founded on free masonry & continues being integrated.
フィリピン革命はフリーメーソンに基づいて設立され、統合され続けています。




歴史的な考察のためのTimeLine

1851 The Bank of the Philippine Islands was established, named ``Banco Espanol-Filipino de Isabel II''.(最初の銀行)

1863 National Bank Act was enacted in the United States(国立銀行法)

1865 Abraham Lincoln is assassinated(リンカーン暗殺)

Abraham Lincoln1809 - 1865

1868 Spanish Revolution, the name was changed to EI Banco Espanol-Filipino.(スペイン革命で名称変更)

1868 Japanese Meiji Revolution (明治維新)

1873 Copper mines owned by Rio Tinto in Spain are acquired by the Rothschild family.(スペインの銅鉱がロスチャイルド家に買収された)

1881  Alexander II of Russia is assassinated(ロシアのアレキサンドル2世が暗殺)

1881  American President James Garfield is assassinated(ガーフィールド大統領が暗殺)

1895 James Rothschild visited Palestine(ジェームズ・ロスチャイルドがパレスチナを訪問)

1892 Apolinario Mabini becomes a Freemason(マビーニがフリーメイソンに加入)
1892 Andrés Bonifosio forms the Katipunan(ボニフォシオがカティプナンを結成)

1895 Emilio Aguinaldo became a Freemason(アギナルドがフリーメイソンに加入)
1896 Jose Rizal was shot to death(ホセ・リサールは銃殺)

1897 The first World Zionist Congress is held. The Chairman was Theodor Herzl(第一回シオニスト会議、議長はテオドール・ヘルツル)

1897 Andres Bonifacio is executed by Emilio Anaguild(ボニファシオはアギナルドに殺された)
1898 America vs Spain War(米西戦争)

1899, the Republic of Malolos was established as the first independent state in the Philippines, and Aguinaldo became president.(アギナルドが初代大統領に就任)

1899 America vs Philippines War(米比戦争)

Philippine–American War 1899-1902

1905 1st Russian Revolution
1910 Mexican Revolution
1911 辛亥革命 (Republic of China)

🔵フィリピン人の味方??=ウィリアム・タフト

William Taft was an ally of the Filipino people ??

William Howard Taft (September 15, 1857 – March 8, 1930)
Governor-General of the Philippines
In office March 16, 1900 – December 23, 1903

太平洋戦争

(執筆中)

 Douglas MacArthur(1880年1月26日 - 1964年4月5日)


ダグラス・マッカーサーは1936年1月17日に、フィリピンの首都マニラのロッジでフリーメイソンに入会、会員番号は「367781」
1947年12月8日に、東京の米国大使館で、第33階位を授与された。

"Freemasonry embraces the highest moral laws and will bear the test of any system of ethics or philosophy ever promulgated for the upliftment of man."
「フリーメーソンは最高の道徳法を奉じており、人類の向上のためにこれまでに公布されたあらゆる倫理や哲学のシステムのテストに耐えるだろう。」

ダグラス・マッカーサー将軍 Bro. Gen. Douglas MacArthur

レイテ沖海戦


(執筆中)


Reference(参考文献)

I have already read some historical research papers written by Filipinos that have been translated into Japanese. It was a book edited by a Japanese Yoshiko Nagano.

Reynaldo Ileto
永野善子(編集・監訳)『フィリピン歴史研究と植民地原説』2004

However, in the 20th century, people became financially tied down, and everyone, including Filipinos, Japanese, and Americans, became victims. I think you can understand this if you think carefully about why President Lincoln of the United States was assassinated.
Even though the Philippine Revolution achieved independence from Spain, the country has now been transferred to a system controlled by banks and international finance capital.
People just want to live happily, but it makes me sad because I feel sorry for everyone.

しかし、20世紀になると、人民は金融的にも縛られてゆき、フィリピン人も日本人もアメリカ人も誰もがその被害者になったのです。それはアメリカのリンカーン大統領が何故に暗殺されたのかを、よく考えてみれば分かることだと思います。
フィリピン革命もスペインから独立を果たしたと言っても、今度は銀行あるいは国際金融資本に支配されるシステムに移行されてしまった訳なのですから。
人々は幸せに暮らしたいだけなのに、みんなが可哀想で悲しくなります

⭕️Stephen Mitford Goodson『A History of Central Banking and the Enslavement of Mankind「中央銀行業の歴史と人類の奴隷化」

https://constitutionwatch.com.au/wp-content/uploads/A-History-of-Central-Banking-and-the-Enslavement-of-Mankind-Stephen-Mitford-Goodson.pdf


Teodoro Agoncillo
”The Revolt of the Masses : The Story of Bonifacio and the Katipunan”(1956)

Reynaldo Ileto”Pasyon and Revolution: Popular Movements in the Philippines “(1979)

Reynaldo Ileto”Filipinos and Their Revolution: Event, Discourse and Historiography” (1998)

Reynaldo Ileto”Knowledge and Pacification: On the U.S. Conquest and the Writing of Philippine History.” (2017)

Glenn May ”A Past Updated : Further Essays on Philippine History and Historiography”(2013)

Jim Richardson”The Light of Liberty : Documents and Studies on the Katipunan, 1892-1897”(2013)
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テオドロ・アゴンシリョ『大衆の蜂起――ボニファシオとカティプーナンの物語』(1956)
グレン・メイ『英雄の捏造――没後創られたアンドレス・ボニファシオ』(May, 1997)

レイナルド・C・イレート『キリスト受難詩と革命』(1979))1946年マニラ生まれ、1974年コーネル大学博士、現在、国立シンガポール大学教授.

デビッド・シルビー「フロンティアと帝国の戦争:米比戦争、1899-1902」(2007)
グレン・メイ『更新された過去:フィリピン史と歴史叙述』

ジム・リチャードソン『自由の光:カティプーナンに関する史料と研究、1892~1897 年』( 2013)

永野善子:レシール・B・モハレス著『国家の頭脳たち』を読むhttp://asia.kanagawa-u.ac.jp/pdf/asia-review/vol11/note1.pdf

永野善子『グローバル化時代のフィリピン革命史研究』

http://asia.kanagawa-u.ac.jp/pdf/asia-review/vol07/note2.pdf

🔵これらの論文では、逆にアメリカとの政治メカニズムに照準を合わせていて、ユダヤ側=漢人の作戦を歴史的に重要視していないと思われます。
These papers do not seem to give any historical importance to the Han Chinese or the Jews.


Andrés Bonifacio

Andrés Bonifacio was a Filipino revolutionary leader. He is often called "The Father of the Philippine Revolution", and considered a national hero of the Philippines.

Andrés Bonifacio y de Castro (30.Nov.1863 – 10.May.1897)

Bonifacio Global City

Bonifacio Global City (2018)
Bonifacio Global City (2024)

"Yes Please" Uptown BGC

I met a very skilled bartender in Manila. I always order cocktails from her. I first visited “Yes Please” in Uptown BGC in 2017. This bar has an excellent interior design from an architectural point of view, making our stay a very comfortable space. Of course, the drinks are also delicious. In addition, the sound equipment is of the highest quality and the PA engineer's skills are high. And the DJ's selection and play make our drinks even more fun and intoxicating.

"Yes Please" at Uptown BGC in Manila : 12.June.2024



in Malate 2024
in Malate 2024
Magini Street 2024
Good Bar "Tap Station" in Malate 2024
my favorite Restaurant on the Adriatico street 2018
Bang Silog 2018
in Ermita 2018
I like this : 14.June.2024 in Quezon

Manila Bay (Photo by Ko-chan 2019)

Ruy López de Villalobos.

Ruy López de Villalobos was a Spanish explorer who led a failed attempt to colonize the Philippines in 1544

Villalobos was commissioned in 1541 by Antonio de Mendoza, the viceroyof New Spain and first colonial administrator in the New World, to send an expedition to the Philippines, then known to the Spanish as the "Islands of the West" (Islas del Poniente).

In 1543, he set sail from Mindanao, passed through Okinawa, and discovered the volcanoes of Japan. I also think he was looking for whales as well as minerals like gold and silver.

Ruy López de Villalobos 1500 - 1546

Jorge Álvares

Jorge Alvarez was a Portuguese ship captain and slave trader who came to Japan in 1546. When Georges finished his work and returned to Malacca, he took Yajiro on board and introduced him to Xavier.

Most of the Japanese slaves taken overseas were led by Portuguese merchants, and the number of victims is estimated to be around 50,000.

In 1582, the famous boys' mission sent to Rome witnessed young Japanese women being used as slaves everywhere they went around the world, and in reality there were many times more. It is said that this is the case.

1546年に薩摩半島最南部の山川にやって来たポルトガル船船長で奴隷商人のジョルジュ・アルヴァレスである。仕事を終えたジョルジュはマラッカへ帰る際、ヤジロウを乗船させ、ザビエルを紹介した。

海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。

1582年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

Francis Xavier

Francis Xavier is a Jesuit missionary, came to Japan to spread Christianity.

Spanish Cuisine スペイン料理

Las Flores

Las Flores : 9.June.2024

Tomatito

Tomatito : 10.June.2024


スペイン料理 in Tokyo Japan 『スリオラ』

Japan

Mariano Ponce was the ambassador to Japan.
和服を着ているポンスは駐日大使でした。

Mariano Ponce & Sun Yat-Sen(孫文)

『フィリピンと日本・交流500年の軌跡』

"Five Centuries Filipino-Japanese Relations"

佐藤虎雄著1994

この書物も例に漏れずで注意しなければならないのは、フランス革命から明治維新やロシア革命、さらには21世紀のカラー革命まで、革命には必ず誰か企画者がいて、仕掛けがあって、他の目的を実現されるためにもある、という点です。

2024 in Japan


I live in Japan, and I often eat Filipino food at this restaurant. Mama=Marietta is a good cook and always makes delicious meals. So I'm very grateful to her.

"feel at home" in Japan Nagano pref.

長野県松本市にある「feel at home」のフィリピン料理は美味しいですよ♪

"Feel at Home" in Japan 2024
"Feel at Home" in Japan 2024
"Bopis" on 23.May.2024 「Feel at Home」in Japan
"Bangues" on 23.May.2024「Feel at Home」in Japan

Philippines Ballet Philippines(フィリピン劇場バレエ団)

I went to see Denise dance in Tchaikovsky's ballet "The Nutcracker." She created a magnificent performance with her own dancing, with her agile body movements and delicate dance expressions. I was very moved.

Philippine Ballet Theatre (2018)
Denise Parungao
Denise Parungao

Cultural Center of the Philippines


まとめ & 関連情報

日本人やフィリピン人だけでなく、世界中のすべての人々は、この巧妙に設計された奴隷システムから独立する必要があると思います。
(I believe that not only Japanese and Filipinos, but all people around the world need to gain independence from this cleverly designed system of slavery.)

How Jewish International Finance Functions

https://web.archive.org/web/20210816162556/https://avalonlibrary.net/ebooks/Henry%20Ford%20-%20The%20International%20Jew%20(1922).pdf

continue writing (つづく)

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