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「今」は幸運の延長線上にある

年明け以降、冬のせいか気分が落ち込むことが多かった。

ふと、この過剰なネガティブメンタルの原因は何なんだろうと分析してみた。

分析した結果はかなりプライバシーに関わるので、ここでは伏せておく。

しかし原因はどう考えても過去にある。

過去の出来事がたくさんたくさん積み重なって、複合的に私の心の中で「今は存在しない黒い存在」を作っているようだった。

うまく行かないときは
「ほら、お前なんてそんなもんだ」
「お前よりもっと頑張ってる人や才能ある人がいる」
「魅力も価値もない人間」とか

何か達成しても
「どうせおまえの実力じゃないんだよ」とか
「ほら、周りの皆様のおかげだろ?ほら、感謝すべきだ」とか

正直ありがた迷惑な親切に対しても
「お前なんかに時間を使ってくれているんだ。全て受け止めるべきだ」とか

うーん、書いててしんどくなってきたwwwww

まぁ、こんな感じで自分の頑張りを認めること、両手離しで喜ぶこと、自分の気持ちに素直になることなんかを止められるのだ。

これの原因はさっきも行ったけど、完全に過去が原因だ。

1個2個の経験じゃない。
幼い頃からずっとずっと積み重なったものだ。

こういったものを一旦すべて書き出してみた。
恨みつらみも込めて。

心の中がどす黒いものに支配されそうになりながらも、今の自分と過去の出来事を切り離して書き出した。


思いっきり書き出した次の日。

いつも通り仕事に行く夫と学校に行く子どもを見送ったあと、ふとこんなことが頭によぎった。

私が夫と出会ったのは、人生で最高のラッキー。
子どもを授かったのもすんごい奇跡。
めっちゃ幸せなのも、すごい幸運。
そもそも夫にたどり着いたのも、小さなラッキーの積み重ねだった。
これ、私がマジで不運だったら、ここにはたどり着いてないわけじゃん?
最悪なことの積み重ねで「今」があるんじゃなくて
「小さいラッキー」が積み重なって、
その延長線上に私は立ってるんじゃない?

私は今まで「自分は過去の辛い経験で形成されているし、生かされている」と思い込んでいた。
さらに「不幸の積み重ねが自分の土台」とすら思う節があった。

そうじゃないんだ。

どんなに辛い経験をしても、どんなに周りに虐げられた過去があっても、私をここまで生かしたのは「積み重なったちいさな幸運」だったのだ。
自分の土台は、むしろ幸運が作っていた。

家族だけじゃない。
今の仕事(パワーストーン関係の個人事業主)になったのも、きっかけは最悪な出来事。
でも「大好きな鉱物を仕事にしてもいい」というラッキーな気づきを経て、今の仕事ができている。

その中でたくさんの人に出会えて、気の合う人たちともつながることができた。
コレまたラッキーだ。

昨年、私は骨折と靭帯損傷から臨死体験をしたが、幸運にも助かった。
(医療関係者のみなさまには頭があがらない)
これも時と場所が悪かったら、私は死んでた。

そしてnoteやKindleの存在。
自分の存在を証明できる「書く」ことを受け止めてくれる場所が、現代にはある。

さらにその文章を読んでくれる人たちの存在。

「感謝すべき」と苦しくなっていたのが、視点を少し変えるだけで
「感謝したい。むしろ感謝させてくれ、五体投地させてくれ」
と思うようになった。

(ここで流れるポルノグラフィティのヴィヴァーチェ)

大丈夫。
「今」はでっかい不幸を積み重ねた上にあるんじゃない。
数え切れないくらいの、小さな幸運が積み重なった上にあるんだ。

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