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当たり前はあっという間に変わる。だから自分を曲げなくていい

 どうも、こぶたです。
 車いすユーザーのパートナーの会を主催したり、ウィルチェアファミリーの代表をしたり、発達障害を持つママたちの会を主催したり、たまに絵本冊子を作って売ったりしています。
 車いすユーザーのパートナーであり、自身も多様なマイノリティの中に生きています。そんな私の経験から得たものを、みなさまに少しだけお届けできれば幸いです。

 本日は、自分を曲げる必要なんてないと気づいたお話です。

 はみ出た次男を布団に引き込み、そろそろ起きる時間かと思いながらモゾモゾしていると、隣のベッドから夫が叫びました。

「あ!やばい。寝坊だ!長男が遅刻する!」

 気づくと我が家で一番早い長男の出発時刻まであと10分。
 現在、組織体制を整え新体制設立準備に追われていて、昨夜、深夜に書類を整えていたせいか今朝は定時の目覚ましに気づくのが遅れてしまった私。

 私も長男も朝目覚めから起き上がるまでにとても時間がかかり、このタイプは無理に起きると倒れてしまうため起床には時間をかけます。急ぐのが苦手な長男なので登校班には先に出発してもらい、慌てて支度をさせ、私も外に出れる程度に身なりを整える必要があります。

 身体障害のある夫の身支度や車の乗り込み時間を考えると、私が送って行く方が早いため私も慌てて身支度ですが、体の隅々に血液が行き渡るのを待たずに起き上がったためひどく眩暈がします。脳と体がしっかり接続されていない。そんな感覚を毎朝感じています。

 すっぴんのまま髪を直して服を着て、布団でダンゴムシになっている次男の着替えとご飯をテーブルに出して夫に託し、支度を終えた長男を車に乗せました。
 ゴミの日…は諦めようか。何かを成功させるには何かを諦める必要があります。私の手は2つ、時間も限られています。

 エンジンをかけるとカーナビから流れてきたのは、天皇陛下が車いすバスケを観戦されたと言うニュース。音声を聞きながら、ああ、時代が変わったんだなと噛み締めギアをドライブに。
 街行く人はみな、マフラーやネックウォーマーに顔を半分ほど埋め、身を縮めて歩いています。

「もうパラアスリートはヒーローになんだね。時代や当たり前って案外すぐに変わっていくんだ。」

そう呟く息は白く薫っています。

「そうなんだ。」
「2008年北京パラリンピックにママの友だちの彼氏が出場してたの。でもTVはEテレがダイジェストを流すだけで、試合は放送されなかったし興味がある人しか触れることはできなかったの。」
「なんでよ。」

「そういう時代だったんだよ。障害者がTVに出る、民放に出ることなんてなかった。でも今はパラアスリートがCMにも民放バラエティにも出始めて、ヒーローになってる。こうしてスポーツNEWSにもなる。」
「普通のことなのにね。」
「ママには普通じゃないよ。あの時、北京に飛んだ彼女からEメールで試合速報を流してもらって、それをmixiに流してみんなで一喜一憂してたの。それしか知る術はなかったの。そのくらい誰も関心がなかった。そして、彼女と「いつかパラアスリートがヒーローになれる時代が来るといいね!」って話してたんだよ。でも今、その時代があっさり来ちゃった。望む未来が10数年でやってくるなんて思いもしなかった。だからママも君も今の当たり前の世の中には合わなくても、いつか「何だこんなに早く変わっちゃった」って瞬間が来るかもしれないし、変えるのは自分たちの力かもしれない。だから今の当たり前が自分に合わなくてもうまくやり過ごして、自分を曲げなくてもいいのかもよ。まぁ自分たちだけで一生懸命追いかけて楽しめたのも悪くはなかったけどね。」
「うん。ついたよ。行くわ。」

 車から降り、凍る地面にツルツルと滑りながら駆けていく長男の背中に、「まぁだから君もきっと大丈夫!」と見送り、次男の送迎に向けて慌てて自宅へ戻ったのでした。

 あの頃、何人もの友人と「どうして歩けないと言うただそれだけで、こんなにも何もかもを奪われ、深い海の底に閉じ込められてしまうのか?!」と幾度となく話してきました。
 見た目や方法、得意不得意の差は違っていても、輝き光を放つ多くの人がいることにどうして社会は気づかないのか?『障害」というラベリングの重さに沈められる人をいく人も見てきました。人生を諦めてしまった人をいく人も見てきました。

 少し時代が違っただけで、選べる選択や認められる幅はこんなにも違っていて、個人の持つ因子ではなく環境側の作り出す障害の大きさに改めて気付かされます。

 コロナ禍を境に、SDGsや東京オリンピックなどが背中を押し、あっという間に変わっていった社会全体の意識。情報の持つ力の大きさを改めて感じるとともに、「あ、当たり前ってこんなにころっと変わってしまうんだな。なら、自分を曲げて涙を流さなくても、いつか自分に合う時代が巡って来るかもしれないな。」
 そう前向きな気持ちになることができたのでした。私は間に合わないかもしれない。だっけどきっと、子どもたちの時代は大丈夫。大丈夫な世界を、今の私たち大人が作っていけばいい。
 そんなことを考えながら、次男の支度を整え送り出し、また苦手な書類作成や組織作りを整える作業へと戻っていくのでした。

 あなたが今いる場所は苦しいですか?私はずっと呼吸をするのが精一杯な場所でかろうじて酸素を吸いとり生きてきました。自分に合う当たり前も世の中も人も見つからないまま、人生の半分以上を生きてきました。ずっとずっと不適応を起こしています。
 だけどいつかそうじゃなくなる日が、案外すぐにやってくるかもしれません。未来はわからないから、いつだって希望はあります。プレートが地中に飲み込まれマグマが吹き出し循環しているように、波がよせては返して行くように、血液が循環し続けるように、時代も少しずつ変化しながら循環しています。毎分毎秒変わっています。
 今いる場所が苦しいなら、「ここにいるよ」と叫んでみてください。今は誰だって叫ぶことができる時代になっているのだから。

 このnoteは、そっと誰かを岸に押し上げたいこぶたが人生の中で気づいたこと、感じたことを綴っています。

 人生は終えるまでは続いていくから失敗してもきっと大丈夫。

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