遺影と私と卵焼き
私の価値観を変えたことのひとつに、
ノリを巻いた卵焼きがある。
子どもの頃、よく弁当に入っていた。
夕方、「ママ見て!ママこれみて。」と本を持った息子に追いかけられがら
冷蔵庫の中身とにらめっこして作った今日の夕食の1品がこれだった。
どうも。車椅子の旦那と5歳の息子と暮らす主婦、こぶたです。
今日はそんな、ノリを巻いた卵焼きと家族の話。
私たち夫婦が子どもを持つ選択をすべきか
まだ悩んでいた頃のことだった。
子どもを持たない選択をしたらどうなるのか、
子どもを持たないとはどういうことなのかを考えた私の頭に浮かんだのは
古い記憶の中にある、1枚の遺影だった。
遺影
幼い頃、山奥の古い古い祖父の家に行くと
いつも私は1人、仏間の鴨居に並ぶ幾枚もの遺影の中で
その遺影だけを眺めていた。
他にも幾枚ものあったのに、何故かいつもその遺影ばかりを見ていた。
まだ若く、軍服を着て微笑する青年の遺影にはたくさんの勲章が入っている。
その人は名を“誠一”と言った。
教えてくれたのは祖父だった。
祖父と私の両親は折り合いが悪く、滅多にこの家を訪れることはなく
訪れても大人たちは常に言い争い、殺気立っていた。
祖父と私は会話という会話をしたことがない。
私は実はこっそり、あの家と祖父が好きだったが、
そんなことは決して誰にも悟られてはいけなかった。
「おいボク、何見とるんじゃ。それはな、誠一さんじゃ。
戦争でのうなった。」
突然祖父に語りかけられ、私は驚いた。
いつも男の子みたいな格好をする私を祖父は男の子と思っていたのか、それともわざとなのか「ボク」と呼んだ。
誠一は祖父の長兄だった。当時、多くの人がそうだったように第二次世界大戦で命を落としたそうだ。
それから数年して、祖父はぽっくりと
たった1人、山奥の古いあの家で亡くなった。
孤独な人生の最後は、孤独死だった。
それから大人たちの争いが起こり、
懐かしい祖父の家は売られ、あの遺影もどこへ行ったかわからなくなってしまった。
家系調査
ある時、子どもを持たずに生きていくことを考え始めた26歳の私の頭に
あの遺影がふっと浮んだ。
もう、顔も思い出せない。もう、雰囲気しか思い出せない誠一さんがふっと浮んだ。
誠一さん、あなたの生きていた形跡はもうどこにもない。
あなたは何も残せず亡くなって、何のために生まれて来たのかわからないとは思わないのか?
戦争で命を落として、あなたの生きた証は写真1枚残っていない。
墓石はあるが遺骨もない。あなたは何のために命を落としたの?
あなたが生きてきた意味はなんですか?
なんだかとても悲しくて、とても愛おしいような気持ちになり
突然思い立ち、彼を根こそぎ拾いたいと
すぐに戸籍をとった。
戸籍に書かれた彼のたった数行を手がかりに、私は彼を探し始めた。
家系調査の始まりだった。
独り身だと思った彼には妻がいた。
だがやはり子どもはいなかった。
その後ひょんなことから、彼の戦死状況を伝える手紙が見つかった。
震えながら彼の死の状況を読み進めていくと、そこには涙のあとがあった。
母親の涙か、妻の涙かはわからない。
けれど彼の死を悲しむ人がいたことに私は驚いた。
と同時に、誠一さんが守りたかったのは
この涙の主だったのかもしれないな。彼はたとえ強制だったとしても、この涙の主を守るために戦いに行ったのかもしれないと思った。母や妻や幼い兄弟を守りたかったのだとすれば、その先に生まれた私の人生をも彼は間接的に守った……のか?
波紋
その後、知らなかった祖父母の壮絶な人生をも知ることになったのだが、誠一さんが亡くなったということが
祖父や父や私の人生にまで深く深く及んでいることが分かった。
もしもあなたがあの時死ななければ
祖父は孤独にならずに済んだのかもしれなかった。
なんだ。
あなたのものは今の世に何もひとつも残らなかったけれど
あなたは生きていたんだ。その生は妻や祖父やその兄弟たちや、父や私に良くも悪くも
少しづつ影響を与えて、今に至っている。
「そう言えばノリを巻いた卵焼き、
お弁当によう入れてたやつ。
あれはおじいさんがよく作ってて
教えてもらったんや。」
と久しぶりに帰省したある日、母が言った。
祖父が考えて作ったのか、それとも曾祖母から伝わったのかはわからないが
私の中にもあの家の誰かの営みがしっかりと根付いて生きている気がした。
そして母のその一言を聞いた瞬間、こう思った。
人は影響しあって生きている。
何も残せない無駄な人生なんてひとつもない。
だから私は怖くない。
私が生きていたことも旦那が生きていたことも
生きていたという事実がある限り、必ず誰かに及んでいる。
だから私は怖くない。
子どもを持てないことより、子どもを持つためのトライ(不妊治療)をしないことの方が私にとっては虚しいこと。
そういう考えに至ったのだった。
答え合わせ
不妊治療を経て息子が生まれ、
半月ほどたったある日。
祖父の死以来疎遠だった叔母から連絡が入った。
何やら調べているようだが
どういうつもりなのかという叔母に事の顛末を話すと
叔母は私にこう言った。
「あの家はな、みんな愛情不足や。
愛情表現が下手くそや。
そやからこぶたちゃん、よう聞きなさい。
愛情だけでいい。あとは多少雑でもかまわん。
愛情だけでいいから
息子くんにはたっぷりとそぞぎなさい。」
なんだか家系調査を初めてから色々な感情が揺れ、
色々なことが巻き起こったが
叔母の言葉が全てを物語っているようで、私は素直にそれを聞き入れることにした。
愛情と言われても、自分が受け取ったことの無いものを
どう注ぐのかと悩みはしたが
とりあえず、言葉もわからぬ我が子に
口に出して伝えることから始めてみた。
コレがもう顔も覚えていない遺影の彼からの答えだったのかもしれない。
そんなことを思い出しながら
遊びたべのやまない息子と、並んで卵焼きを食べたのだった。