守るな、攻めろ 続
自分のコンフォートゾーンに目標を置いてしまっている。
前回そういう内容の記事を書いた。
つい昨日、前回の記事の内容についてシェアハウスの友達と議論していた。
そしてこのトピックは僕にとって考えるに値する非常に重要な議題だということに気づくことができた。
僕が目標を自分のコンフォートゾーンに置いてしまっている原因はおそらく僕の過去の出来事に起因すると思う。
まだその原因については特定できていない。
過去の自己分析をじっくり行って原因がわかったらnoteに書くなり、自分で明らかにしたい。
今回の記事では
このことに気づいて今 僕がどう感じているのか
またこれからどのようにしていくのかに 焦点を絞って述べていきたいと思う。
●今の率直な気持ち
昨日僕はこのことに気づいた時に 大きな危機感を感じた。危機感というより自分を少しずつ変えて行く必要性についてだ。
僕とS君は別の人間だ。
僕はS君のようになる必要はないし、僕は僕らしく人生を歩んでいけばいいと思う。
社会に大きな影響を与えることを目指したり、志をとてつもなく高くもつ必要はないかもしれない。
だが僕は思った。
もし僕が小さなことでも 心からこれをやりたいと思っても
今の僕ではコンフォートゾーンから抜け出せずに挑戦することから目をそらしてしまうかもしれない。
これってすごく勿体無いことではないか。
だって、ぼーっと指をくわえている間に人生はあっという間に終わってしまうのだ。
最近社会人になり時の進む速度がさらに加速している。
何も行動を起こさないままだとあっという間に30代、40代になってしまう。
以前 死とどう向き合うか の記事で
充実した人生を送るためには「自分のエネルギーを完全燃焼すること」ということを僕は書いた。
今のままの僕では完全燃焼は無理だろう。
少しずつ自分を変えて行く必要がある。
●これからどうしていくのか
今回、自分の悪いところに気づいたところでこれからどうしていくのかについて書こうと思う。
正直、まだ完全に整理はついていないのだが現時点で思っていることを書きたいと思う。
・自分の願望を発信していく。
今まで僕は自分のやりたいことや考えていることを声に出して人に話すことがほとんどなかった。
ごく少数の友人には話していたがそれ以外の人たちには 自分の思いを伝えることは恥ずかしいと思っていた。
それは僕が他人から嫌われることを恐れて、 良い人、波風立たせない人と思われたいと思っていたからだと思う。
でもいいのだ。自分の想いや願望を発信して嫌われることより自分の小さな願望から目をそらして過ごしていくことの方が自分を後悔させてしまう。
・自分が苦手でも興味のあることに積極的にチャレンジしてみる。
ダンスの挫折以降、僕は自分が不得意そう、苦手そうなことにはあまり取り組まなくなってしまっていたように思う。
インスタグラムも元々自分に向いてなさそうだから 1年前までやっていなかったし
僕は料理が下手くそだから、と言い訳して今のシェアハウスに来るまでほとんど料理をしていなかった。
別に苦手なことに無理に取り組む必要はないが、
やる前から諦めてしまうのはすごく勿体無い。
これから興味が湧いたことは苦手かもしれなくてもとりあえずやって見たい。
その都度、インスタグラムやnoteで報告していきたい。
最後にこのトピックについて書いていて自分自身について気づいたことがある。
それは僕の中にも”負けず嫌い”な一面を垣間見ることができたということだ。
ここ数日僕は悔しい気持ちでいっぱいだった。
S君やS君以外の自分にはないものを持っている人と話していて
僕は久しぶりに自分の心の奥底にある小さな炎がずっとざわざわしていた。
彼らと比較するのではなく、彼らに刺激を受けて自分を高めていきたい。
思えば過去を振り返っても 僕にも反骨心で燃えていた時期はあったのだ。
中学2年生の時、場面緘黙症で苦しんでいた学生生活をなんとしてでも変えるために必死だったころ
人生で一番努力した浪人時代。
ベベから入ったスペイン語インテンシブコースでスペイン留学を勝ち取るために燃えていた大学2年生の時。
あの時の自分はどこに行ったのだ。ただまだ終わっていない。
今の僕は過去の自分に遅れをとっているかもしれない。
でもこれからの僕は過去の自分を塗り替えることができる。
「おい今のshinshin, お前 守ってばっかやな。 過去のshinshinはもっと攻めてたぞ。」
このセリフを僕は頭の片隅にずっとおいておきたい。
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