完全公開 巻物 八景十境:1 /文京ふるさと歴史館
小さな旅の第一歩めは、この真っ黒で巨大な門から。
その名も「黒門」といい、日蓮宗大本山・法華経寺の最初の入り口となっている。年代は不明だが、江戸中期ごろの建立とされる(もうちょっと古いような気もする)。市川市の指定文化財。
黒門には、門の大きさに見合った大きな扁額が掲げられている。
掛川城主の太田資順(1762~1808)による筆。江戸城を築いた、あの太田道灌の後裔にあたる人物だ。
太田家の菩提寺は、静岡・三島の日蓮宗本山・妙法華寺。代々が篤い法華信徒であったことに加えて、道潅の3代あとの康資がこのあたりを領有した里見氏に仕え、近隣で起こった国府台合戦にも参加しているから、そのあたりの縁もあって、揮毫を頼まれたのだろうか。
上の写真奥・突き当たりにみえる銅板葺きの屋根が、これまた巨大な法華経寺の山門。黒門から山門にいたる沿道には仏具屋さん、お菓子屋さん、花屋さんに食堂、写真館と、門前町に定番の店がひととおりそろっている。
――なにを隠そう、わたしの居住する門前町というのはこの界隈であり、いつもこの門の下をくぐって仕事なり遊びなり買い物に行き、帰ってくる。
そんなこともあって、太田家には勝手に親近感をいだいているのだ。
これが案外、一方通行の思いこみでもなく、この地に越してきてからというもの、そうとは知らずに太田家ゆかりの地を立て続けに訪ねていたりもする。
掛川藩太田家の初代・資宗以来、太田家の当主は幕府の要職を歴任しつつ、転封につぐ転封を繰り返してきた。江戸時代を通じて、じつに7か所を転々としている。
◆西尾
◆浜松
◆館林
◆掛川
どれも、あの黒門をくぐって出発し、電車に揺られてたどり着いた、旧太田家領の城下町だ。
おもしろいのは、太田家がかつて治めた町とはつゆ知らずに、しかもばらばらの時期に訪れているということ。だからこそ余計に、奇縁めいたものを感じてしまう。
――前置きが長くなったが、先日、太田資順染筆の扁額の下を通って向かったのは、文京ふるさと歴史館の特別展「完全公開 巻物 八景十境―ぶんきょうの指定文化財―」。
文京区千駄木には、太田家の駒込屋敷があった。その庭内のようすや、そこから遠望できた江戸の景勝地を描いたのが《太田備牧駒籠別荘八景十境詩画巻》。
太田家からの寄贈を受けて文京ふるさと歴史館が所蔵しているこの画巻の全体像をはじめて公開する展覧会が、いま、開催されているのである。(つづく)
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