本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション /練馬区立美術館
石膏ボードのガリバー・吉野石膏株式会社は、印象派などの西洋絵画、近代日本絵画の収集でも知られている。
また「吉野石膏美術振興財団」では、中世ヨーロッパ以降の美麗な貴重書を所蔵している。
この二本柱を同時に公開する展覧会である。
東京での吉野石膏コレクションの公開は、2021年11月後半に表参道ヒルズで開催された「TECHNICOLOR’S 吉野石膏コレクション meets コンテンポラリー・アート vol.1」展が記憶に新しい。
このとき、ヒルズ内の別会場・同潤会アパート (残欠)の最上階の1室で、財団所蔵の貴重書が10数点公開されていた。
今回の練馬展は「TECHNICOLOR’S」展から現代作家を引き、別会場で展示していた貴重書を足して、全体の点数・規模を拡大したものとなる。
練馬展の開催情報は年間スケジュール発表時につかんでいたものの、直前になっても告知をあまり見なかったし、各種情報サイトでも情報が少ない。美術館の公式ページも同様で、ここには作品のクレジットがない……本当に開催されているのか、少し不安ではあった。
※吉野石膏の特設ページ。現時点で、美術館側からのリンクがなぜか張られていない……テキストは美術館とほぼ一緒で、画像が2点増えている。
——まぁ、いろいろと大人の事情があるのだろうなと考えながら、池袋から西武線に乗り継ぎ、中村橋駅へ。
展示は、1階第1室での中世の手描き写本、活版印刷を使った版本を経て、2階の第2室では画家と協働して制作されたアートブックの世界へと進んでいく。アートブックの合間に、吉野石膏が所蔵する油彩や素描を展示。ルノワール、ゴッホ、モネ、ピサロ、ミレー、マティス、ピカソ、ブラック、カンディンスキー、ミロ、シャガールなど。
なかでもカミーユ・ピサロとその息子、リュシアン・ピサロについては多くが割かれていた。リュシアンは拙なる味わいのある木版画を制作し、エラニー・プレスという版元を興して出版活動をおこなった。
晴れ模様がさわやかなカミーユ・ピサロの油彩《ロンドンのキューガーデン、大温室前の散歩道》(1892年)。結婚後にリュシアンがイギリスへ移住した関係で、父カミーユも頻繁に渡英するようになったとか。
同じく2階の第3室では、主に近代日本の日本画と洋画を展示。近世~近代の画譜・絵手本の類や、画家が描いた装幀・ブックデザインなども出ていた。
例外として、伊藤若冲の水墨、川原慶賀《長崎港図》が。後者は吉野石膏の特設ページ最後に画像が出ているもので、きわめて細緻。街のすがたが破綻なく描きこまれている佳品だ。
鏑木清方《肌寒》(1949年)。西洋ものをひとしきり観てから、清方さんの美人に出逢うと、どこかほっとするものである。
海老原喜之助《雪山》、安井曾太郎《初秋の明神岳》もよかった。後者は、山種美術館で出ていた鉛筆+水彩の小品と類似する油彩画。この人らしく穏和で、すぐ近くにあった梅原龍三郎との好対照が印象的であった。
※画像では色みがくすんでしまっているが、もっと濃く、強い。けれど、やわらかい。
同じくその近く、のぞきケースに出ていたのが書籍『ぬりえ』(1951年 暮しの手帖社刊)。件の安井・梅原が共同で編集指導をした豪華すぎるぬりえで、たいへん惹かれた。
ぬりえの作者には、安井・梅原をはじめ、当時を代表する画家たちの名前がずらり。武井武雄に熊谷守一、鈴木信太郎あたりは子ども受けしそうでもあるし、個人的にもどんな下絵を描いたのか興味が尽きない。
『暮しの手帖』らしい企画ともいえる。版を重ねたものというから、古書店に当たれば見つかるのではないか。まとめて復刊すれば、いまでも売れそうだ。
——名前を出した若冲、川原慶賀、海老原喜之助などがそうであるが、「本」というテーマとは関係が薄かったり、なかったりする作品も多々あった。
「吉野石膏の2大コレクション名品展」というくらいのつもりでうかがうと、よい出合いに恵まれるのではと思う。
※「TECHNICOLOR’S」展で衝撃を受けた高山辰雄《朝》は、残念ながら出ていなかった。