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出逢いはいつも突然に 藤牧義夫の回顧展:2

承前

 《隅田川絵巻》は木版画でなく、筆一本・墨一色で描いた「白描画」。下絵の類とも異なり、これが完成形だ(リンク再掲)。

※ブラウザ版の方は以下、DNPのサイトをご参照

※スマホ版の方は、Googleの画像検索で……

 《赤陽》の退廃的な雰囲気とは真反対の、淀みない境地。作品そのものが、隅田川の悠大な流れに対応するかのようだ。
 こちらへせり出してくる橋に象徴される大胆な構図感覚をのぞいて、版画作品との共通項を見出すのはむずかしい。まして、あの《赤陽》と同じ画家の絵とは……にわかには認めがたいものがある。

 描きこみはいたって緻密。
 けれども、この長い長い絵巻に登場する人物は、わずかに数人。人間の姿が、極力排除されている。また、絵のどこにも影がついていない。
 冷静、いや冷徹というくらいに、のっぺらぼうな画面だ。かといって平面性・均質化に終始するわけでもなく、奥行きと立体感が感じられる……
 見方を変えれば、要素を極限まで削ぎ落としたミニマルさ、「潔癖」というほどの清潔感をもった絵ともいえよう。わたしの受け止め方は、どちらかといえばこちらに近い。
 いずれにしてもこの画巻には、人を惹きつけてやまないなにかがある。

 以前、京都国立博物館で「大絵巻展」という特別展があった(2006年)。
 美術史で単に「絵巻」といえば、ほぼ平安~中世の絵巻を指す。《源氏物語絵巻》《伴大納言絵巻》《信貴山縁起絵巻》《鳥獣人物戯画》などといった綺羅星のような有名作がいつでも話題の中心であって、これはそのまま美術史研究のメインストリームをなしている(江戸絵画研究が盛んになる以前はとくにそうだった)。
 近世以降、絵巻という体裁で残された有名作は質・量ともにぐっと減る。さらに古美術専門の京博のことであるから、このときの展示もそういった国宝絵巻に焦点を絞ったものであった。
 もしまた別の機会に「大絵巻展」のような企画があるとすれば、近代のものも含めて、日本の絵巻を通観する展示を見てみたい(近世・近代はかなり飛び石になるだろうけど)。わたしの永年の希望である。
 そのみぎりにはかならず横山大観《生々流転》、今村紫紅《熱国之巻》、そして藤牧義夫の《隅田川絵巻》あたりはぜひリストに加えてほしいと思っているのだ。

 館林で開催中の生誕110年記念展では、現存する《隅田川絵巻》のすべて、東京都現代美術館の3巻分、館林市第一資料館の1巻分が一堂に展示されるという。この機会を逃す手はない。

 せっかく群馬まで遠征するのだから、もう1か所くらいは組み合わせたいもの。
 候補となるのは、2駅先(+徒歩15分くらい)の群馬県立館林美術館で開催中の「フランソワ・ポンポン展」。
 次回の巡回先は千葉の佐倉市立美術館だが、自宅と同じ千葉県内といってもそう近くはないし、館林美術館の展示環境はすばらしい。

 熊谷のときに行きそびれた、さきたま古墳群の「動物のはにわ」にも行きたい。若干距離があるし、さきたま古墳群だけで相当時間をかけそうなので、どうかなとも思うが……
 本当は、ポンポンと組み合わせようかなと思っていた。古代日本の動物のはにわと、近代フランスの動物の彫刻。どちらの造形も、丸っこくて愛らしい……こちらもなかなかの優良プランで捨てがたい。

 ルート上にあって、一度も行ったことのない古河歴史博物館も候補。
 ちょうど、「雪の殿さま 土井利位」が開催中であるし……


 考える時間はまだあるので、最善の策をとるとしたい。



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