日本と東洋のやきもの:5 /京都国立博物館
(承前)
白と黒の鮮やかなコントラストに、思わずぞくっとさせられてしまうのが《黒釉刻花牡丹文梅瓶》(磁州窯、北宋時代)。
素地に白化粧を施してベースをつくり、上に黒釉を掛ける。黒釉の層を彫ったり掻き落としたりすれば、ひとつ下の白い化粧土の層が現れ、白い線や白い背景ができるのだ。
同じ技法を用いた、同じ「梅瓶(めいぴん)」という器種の名品が、国内にいくつか伝世している。白鶴美術館や、永青文庫のものが有名。
本作を生み出した磁州窯は民間の窯だが、このタイプの作例に関しては「高貴」「気品」といった形容がお似合い。調和のとれた安定感のある立ち姿を観ていると、とくにそう感じる。
いっぽうで、近づいて観察してみると、その表面にはごりごりと刻まれ、しゃーしゃーと削られた跡がはっきり確認できる。存外にラフに彫られているところや、線のはみ出しなどもある。職人の息づかいが聞こえてくるようで、こういった点には、民窯らしい親しみが感じられる。
このようなギャップもまた、楽しいのである。
朝鮮陶磁はいずれも、伝説のサラリーマンコレクター・笠川正誠さんからの寄贈品。コレクション中でも著名な3点が、並んで出ていた。高麗白磁の《白磁陰刻蓮華牡丹文瓶》、李朝染付の《青花草花文壺》《青花野草文角鉢》である。
いつか述べたように、本展を訪ねる直接の動機となったのは、このうち《青花草花文壺》であった。京博では出陳の機会がかなりかぎられており、他館への貸し出しもめったにない。こうして、常設展示にお出ましになるのを待つほかないのだ。
だいすきな、李朝の秋草手(あきくさで)の壺。
全体のかたちも、白磁の上がりも、呉須の青も、描かれた草花の線も、すべてがやわらかく、優しい。楚々としていて、そして勁(つよ)い。しなやかで、勁いのだ……
李朝の秋草手といえば、わたしのなかではこの京博の笠川さんのものか、根津の秋山さんのものか、いや、やはり『座辺の李朝』に掲載されている中川竹治さんのものかといったあたりで、迷う。すごく迷う。どれもよくて、選べない。
本展で最後にご紹介するのは、日本の古代・中世の壺である。須恵器から猿投、中世古窯まで。
とりわけ魅かれたのは、文化庁蔵の重文・古信楽の《檜垣文壺》と古丹波の《秋草文四耳壺》。
ぼこぼことした芋のようなかたち、土味、そして景色……どれをとってもなんともよく、中世古窯の魅力にあふれている。
感嘆のため息を幾度ももらしながら、しばし見とれたのだった。
――けっして狙ったわけではなかったけれども、中国の壺、李朝の壺、日本の壺を、一気にご紹介する内容となった。
それぞれに大きく異なった趣をもつこれらが、あのときの京博では同じ展示室内に、さらに仁清・乾山や唐三彩などを交えつつ並んでいたのである。
やきものを観る愉しみを、あらゆる角度から、これでもかと思い知らせてくれた展覧であった。
※根津の秋山さんの秋草手も、めったに展示には出ない。出るとなったら見逃す手はない
※中川竹治さんの秋草手は、現在は京都・嵯峨のMuseum李朝の所蔵