麻生三郎展 三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン :1 /世田谷美術館
麻生三郎、生誕110年。
松本竣介が昨年で生誕110年を迎えたのだから、そういうことになろう。
早生まれの麻生は、竣介と同学年。画学生時代からの竣介の盟友で、刺激を与えあう関係であった。戦時中には、ともに「新人画会」を結成して活動。竣介の地元の友人でもある舟越保武と三人展を催したこともある。
空襲で「長崎アトリエ村」(豊島区)を焼け出された麻生は、昭和23年、35歳の冬に世田谷の三軒茶屋(現在の世田谷警察署がある場所)に居を構えた。
同年6月には、竣介が急逝していた。思うところあっての、新しい土地への転居であったかもしれない。
それから、川崎市の生田へ移るまでの25年間を三軒茶屋で過ごした。
かの地からそう遠くない世田谷美術館で開かれる本展では、三軒茶屋で描かれた作品を集中的に扱う。前後の時期についても参考程度に触れられるかと思いきや、そこはばっさり。リーフレットにあるように、まさに「焦点を定めた」内容となっていた。
麻生は生涯をつうじて、作風の振れ幅が大きくない作家だ。三軒茶屋時代はそのなかでも長く、充実していたから、今回のような割り切り方が可能となったのであろう。
黒と赤を基調とした、重苦しい色調。短いストロークでほうぼうに塗り重ねられ、表面はところどころ傷がつけられている。
抽象的だが、よく見ると、錯綜する筆触と暗い色の向こう側に、かたちが見つかる。その多くは人間のかたちで、建物の場合もある。
傷は「こすった」というより「刻みつけた」というくらいに、力がこめられている。ふしぎと、荒々しさや乱暴さは感じられない。
これは筆触にもいえることで、絵の具をたたきつけるだとか、キャンバスが破れんばかりだとかという表現がそぐわないのだ。
勢いや偶発性にまかせる必要がないくらい、画家のなかには、描きだしたいものの像が明確に結ばれていたのだろう。
色が主張をして、前面にしゃしゃり出てくるようなこともなく、やはり画家にコントロールされている。画家の目と手が、画面のすべてを支配している。
ーータブローは、おおむねこのような作で占められていた。
誤解を承知でいえば、引きで会場を見わたすと、どれも同じように見えなくもない。
それくらいに、引きの状態や、ましてや画像などでは伝わりがたい部分にこそ、真価のみられる絵といえた。
どんな画家のどんな絵でも基本的には同様であろうが、麻生のタブローは、とりわけてそのようなものだと思われたのだった。(つづく)