呉春 -画を究め、芸に遊ぶ-:2/大和文華館
(承前)
呉春のもうひとつの重文《白梅図屏風》(逸翁美術館)。代表作として挙げられることが多い本作だが、じつは、拝見するのは今回が初めて。まごうことなき、畢生の名作であった。いずれ国宝に指定されても、おかしくないのでは。
上のサムネイルのように、画像によって色がまちまちだったのも、実物を観たかった理由のひとつ。先日、テレビで観た作品画像は明らかに色がおかしく、水色のまだら状になっていて唖然としたものだ……
テレビを擁護するわけではないが、本作の色調整は、たしかにむずかしいのだろう。なぜなら、描かれている布地がかなり特殊だからだ。
目はえらくざっくりとしていて、藍染めの色みはムラだらけで均一性に乏しく、かつそのような布が1扇あたりに5枚ずつ、段をなして貼りつけられている。
この布地に関しては、芭蕉布ではないかという指摘がある。なるほどたしかにそうみえるのだが、だとしても、反物を横に5枚広げたような使い方はかなり例外的で、謎が多い。
絵画表現上の工夫というのはもちろんあるのだろうが、この布地を使うことじたいに大きな意味があったのかもしれない。これだけ描きづらそうな布地なのだから、なおさらその可能性は高まる。
本作に関しては、師・蕪村の辞世の句がもとになっているという見方がある。臨終の際に、呉春が書きとめた句である。
とすれば、もしや蕪村の形見の着物を解き、屏風に仕立て、その上に白梅を描いたのか……? 想像の域を超えないが、形見の着物を小物や表装などに仕立てなおす例はときおり見かけるから、そういうことがあったとしてもおかしくはない。
ともかくも、この布地と藍染めは、闇夜の茫漠とした情景を非常に表し得ている。ただ真っ黒に塗り潰せば闇が表現できるかというと、そうではないだろう。本作の繊細な表現は、その対極に位置している。
布地の上に呉春が描きだす墨線は、近くで拝見すると意外なほどに力強く、そして濃い。言い方は悪いが、ポッと浮かんだ感想をそのまま述べると……かすれた太字のマジックマーカーのようでもある。
きっと、そうならざるをえないほど筆を走らせづらい布地なのだと思われるけれど、これを引きの状態で観ると、あら不思議、なんともたおやかな夜の梅なのである。解説では「艶冶な梅」と評されていた。「力強い」という表現は、似つかわしくない。
本展には円山応挙《雪梅図壁貼付》(天明5年〈1785〉 草堂寺)も出品されており、奇矯な形態を描ききる応挙の男性的な梅と、呉春によるこの女性的な梅とが対比されていたけれど、《白梅図屏風》にみられるよく整理された絵づくりそのものは、応挙から学び取ったものに違いない。
応挙は呉春に対し、宮中や大寺院などとのコネクションを仲介したともみられている。応挙と深いつながりがあった京都の妙法院門跡からは呉春《山水図襖》《真仁法親王像》が出品。
他にも、西本願寺の《四季耕作図襖》、醍醐寺の《泊船図襖》、京都御所・皇后宮の常御殿を飾った小襖や板戸《浜辺松残雪図小襖》(宮内庁京都事務所)といった障壁画の作例を一挙に堪能できたのは、本展ならではのすばらしい点といえよう。(つづく)