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藤牧義夫と館林:10 藤牧義夫の「編集力」⑥ /館林市立第一資料館
(承前)
葛飾北斎の絵本《隅田川両岸一覧》は《隅田川絵巻》の着想源のひとつといわれており、じっさい、第2巻冒頭にはその模写が挿入されている。印刷物を切り抜いたスクラップのように見えるが、これは義夫による肉筆。きわめて高度なトレースである。
※模写の原図はコマ番号25
着想源といったところで、共通するのは隅田川を横スクロールで見せていくという大枠くらい。人間モリモリ、生活感バリバリ、風物詩マシマシのアクの強い北斎の絵と、義夫の淡白な画面とでは、絵として違いがありすぎる。
強いていうならば、モチーフのメリハリに共通性が見出せる程度だろうか。
近景は極端に大きく、遠景はかなり小さくという強弱のつけ方は、なにも北斎の専売特許ではないけれど、北斎のそれはとりわけデフォルメの度が激しく、ケレン味にあふれている。
先に述べた「視界にどアップの事物(近景〈中略〉)がいきなり現れ、急角度で中景を飛ばし、遠景へと急ぐようにして消失点を結んでいくという展開」(第7回)にも、同種のケレン味が横溢している。《隅田川絵巻》第2巻の冒頭(〈1〉と〈2〉)が好例だろう。
この図と北斎《隅田川両岸一覧》のコマ番号13、14あたりを見較べていただくと、上記の引用箇所の説明が《隅田川絵巻》《隅田川両岸一覧》のどちらにも該当しそうだと気づかれることだろう。義夫が北斎から引き継いだ要素なのであれば、それも当然といえば当然だ。
《隅田川絵巻》には、滑らかな連続性がある。たとえば(3)の場面で、地面がいつのまにか水面になっていることなどは、よほど注意して観ていなければ、容易に見過ごしてしまう。
そういった描写のあるいっぽうで、あえて流れを断ち切る、ぶったぎるといった、それこそ「ケレン味」いっぱいの場面が、いきなり挟みこまれることもある。
こまごまとした家並みが描かれた(3)の直前は、こんな場面(4)になっている。
白鬚神社の社殿の柱も、その脇の大木も、大きすぎるのではというくらいに大きい。この対比は、北斎というより広重が《名所江戸百景》でみせた構図感覚を彷彿させるものがあろう。
また、3巻の冒頭では東京商科大学の向島艇庫、つまりボートの倉庫の外側から、壁をすり抜けて室内へと視点移動がなされる(5)。断面図の状態からまた壁抜けをして、描写は大学のキャンパス内へ(6)。なにごともなかったかのように沿岸の風景へ戻っていく(7)。
――こんな発想、いったいどこから出てくるのだろう。(つづく)