倉俣史朗のデザイン ―記憶のなかの小宇宙:2/世田谷美術館
(承前)
倉俣の晩年の仕事を紹介する展示室。
その中心は、やはり《ミス・ブランチ》(1988年 株式会社イシマル、富山県美術館、アーティゾン美術館)。
世界に60脚足らずとされるなかの3脚が、会場中央の島に集められていた。こちらも、影まで美しい。
※国内では他に、大阪中之島美術館や埼玉県立近代美術館などにも所蔵。
いわゆる「名作椅子」には、スタンダードとして定着・定番化し、多くの模倣作を生んだ結果、現代の目でみればすんなりと受け入れられてしまう作品もあれば、それとは真逆の作品もある。《ミス・ブランチ》は完全に後者で、一度観たら忘れられないし、何度でも驚ける椅子だと思う。
背もたれも肘掛けも座面も、透明。座れば宙に浮く心地。そういった点は、先行する《硝子の椅子》と同様だが、《ミス・ブランチ》の場合、座る人は孤独ではない。一緒に浮遊するもの——赤いバラがある。
引きの写真では平板にみえてしまうけれど、バラは筆で描いたり、プリントしたのではなく、造花をアクリル樹脂に封じ込めている。琥珀のなかに古代の昆虫が閉じ込められた姿だとか、具入りの寒天・煮こごりを思い浮かべてもらえるとよさそうだ。
主に日本海側の寒冷地では、甘いものにかぎらず、おかずを含むさまざまなものを寒天で固めて保存食とし冬に備える文化がある。とくに秋田は「なんでも固める」といわれるほど。
出品された《ミス・ブランチ》の1脚は、デザイン分野に強い富山県美術館の所蔵。本展の次の巡回先でもある。バラエティ豊かな寒天文化を有する地域の方々が《ミス・ブランチ》をどう眺めるかは、個人的に興味のあるところだ。
——脱線した。もはや「バラ寒天」としか思えなくなってきてしまったかもしれないが、話を戻すと……
本展には「イメージスケッチ」と呼ばれる構想段階のラフな絵が多数出品されている。アイデアをまずかたちにするため走り描きされたイメージスケッチには、なにものにもとらわれない軽やかさ・闊達さがあり、ひとつの絵としてみても、たいへん魅力的である。
そのなかに《ミス・ブランチ》を描いたスケッチも含まれていた。
このスケッチと、できあがった《ミス・ブランチ》とを交互に眺めているうちに、ある考えが浮かんできた。
それは、このスケッチが「椅子のまわりにバラが浮いている」光景を単に描いているのではなく、「バラが浮いている世界を、そのまま椅子のかたちに仕立て上げるとしたらどうなるか?」といった思索の跡を示しているのでは、ということである。
座った人が、バラが浮いているなかに包まれる感覚を得るためには、どんなかたちにすればよいか? その答えを手繰り寄せると、こうなる。
《ミス・ブランチ》は非常に目を引く魅惑的な外見であり、展示室でそうせざるをえないように、まじまじと観るだけで、ともすれば満足してしまいかねないところがあると思う。実用の椅子というよりは鑑賞用のオブジェとして、片づけてしまう。
だが、腰かけて身を委ね、バラの浮いている世界に遊んでみなければ、この椅子の真価はきっとわからないのだろう。バラ寒天を「ああ、ここに寒天があるな」と傍観するのでなく、みずからも寒天のなかに入りこまねば、ということだ。だからこそ、じっさいに座ることができないのが悔しいかぎりなのだが……
来週のNHK「日曜美術館」の特集は、この展覧会とのこと。予告映像では、司会の小野正嗣さんが《ミス・ブランチ》に腰掛けようとしている場面も。
じっさいに座った小野さんは、どのような受け止めをし、どんな言葉で形容しようとするのだろうか。大いに楽しみである。(つづく)
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