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ステイホームの絵描き:2 ULALA IMAI EXHIBITION MELODY /PARCO MUSEUM

承前

 瓶や缶、壺といった器物が寄せ集められている。花も挿されずに。どのうつわも、これといって特別ではないありふれたものに見える。
 ほんとうに、たったそれだけの画面である。
 にもかかわらず、ジョルジョ・モランディの絵は、観る者を無音にいざない、凝視と思索をうながす。
 うつわの輪郭は背景と混じり、境がわからない。そのわからない境を、観る者ははっきりさせたくて、探す。
 静謐なようでいて、光の粒子が散乱するかのごとくに画面全体が忙しくたゆたっているのだ。だからか、目が離せない。わたしは、モランディの絵を観ている時間がとてもすきである。

 今井麗さんの絵を観ていると、モランディのことがよぎる。
 と同時に、「そうでもないかな」と打ち消したくもなる。

 相通じる点として、作品制作のためにモデルを用意したり、取材を敢行したりせず、自室にある卑近なものをモチーフとして採りあげるところがある。同じ対象を、組み合わせやレイアウトを変えて描きつづける点も似ている。今井さんの絵には特定のぬいぐるみやフィギュアが頻出するが、ポーズに手を加えている。モランディは器物の角度を変えたり、高さをいじったりもする。
 東京ステーションギャラリーなどで開かれた直近のモランディ展の副題は「終わりなき変奏」だったが、今井さんの絵にも、その言葉が似合うように思われる。描く対象やスタイルの面では、近いものがあるといえそうだ。
 
 いっぽうで、モランディの色調は暗めで渋く、今井さんは鮮やかでポップ。
 筆の運びでいえば、モランディは神経質なところがあって重ね塗りもする。今井さんはかすれや線の肥痩を意に介さず、思いきりよく筆を走らせる。描き直したり、描き足したりはしないようだ。それでいてもののかたちや感触をしかと捉えるのだから爽快だ。

 前述のように、モランディの絵には「静かな闘い」があって、いつもかすかに揺れている。
 今井さんの場合、モランディよりも筆に勢いが感じられ、色調も明るく活力あるように映るのにもかかわらず、描かれたものは完全に静止しているようにわたしには思われるのだ。
 描かれている動物が、生身の動物ではなくぬいぐるみであるとひと目でわかる。食パンを包むビニール袋も、がさがさと音を立てる気配がない。スナップ写真のように、その瞬間を凍結させている。

 こうして並べたてていくと、夜と昼くらい違う絵だ。

 まとまりのない内容になってしまったが、モランディも今井さんも、同じ画家を好んでいることに気づいた。
 ピエロ・デラ・フランチェスカ。
 謹直、厳かさのあとに、ゆるやかな余情がにじみだす。この余情こそ、なるほどたしかに、ふたりの絵が共通してまとっている空気に通じるといえるかもしれない。


(再掲。18日まで開催中)




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