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川村記念美術館の「これから」

 神奈川の川崎から千葉の市川へと引っ越してきて、いちばん嬉しかったのは、千葉市美術館や佐倉の国立歴史民俗博物館、そして川村記念美術館へのアクセスが格段によくなったことだった。
 マイナンバーカードによると、引っ越しは2016年6月とのこと。爾来、前にもまして頻繁な “佐倉詣で” が催行されるようになった。

 いま、わたしは再び、引っ越しの準備を進めている。千葉を離れて、遠くの街へと行くのだ。
 千葉の「離れがたいもの」として真っ先に浮かぶのは、川村のこと。
 なにかとても疲労しているとき、心配ごとに囚われているとき、自然に飢えているとき……ただただぼーっとするために、ふらっと「川村に行こうかな」と思えた。
 シャトルバスに揺られ、庭をめぐり、絵や彫刻をうちながめていると、がちがちに考えをめぐらして、懸命に観察・分析しようとしていたときにはみえてこなかったなにかが、ふと、みえてくる。川村では、そういう体験を何度かしたことがある。
 こういった場所が近場にあってくれたのは、ほんとうに幸せだった。
 夏の甲子園が開幕した8月7日。暇乞いをすべく、行き馴れた佐倉を再訪した。

シャトルバスの車窓から
ゲートをくぐったあたり、森の小径
森を抜け、視界が広がる
その先に、美術館

 この日のわたしは、風景を、建物を、そして作品を、かみしめるように愛でた。ロスコ・ルームには1時間もいた。レストランに初めて入り、背伸びしてコースを頼んだ。白鳥にも出逢えた。
 そうして閉館まで静かな時を過ごし、帰りのバスに乗った。次は、東京駅からの直通バスで来ることになるかな。いつになるかな……そんなことを、思いながら。

 ——川村にしばしの別れを告げ「引っ越し前の大仕事を、ひとつ済ませたぜ」くらいの気持ちでいたところだったのだが……まさか、あの日が今生の別れになるかもしれないとは。
 先日27日の夕刻、タイムラインに、このようなニュースが流れてきたのだ。

 目を疑ったし、なにかの間違いや勘違いではと、自分に言い聞かせようとした。だが、否定しようもないくらいにショッキングな言葉が連ねられていき、絶望的な結論へと向かっていく。目の前がだんだん暗く、狭くなっていく感じ。
 はっきりいって、この文書は二度と読み返したくないのだが、目をそむけずに要点をかいつまむと、以下のようになる。


・「現状維持」は明確に否定

・東京への移転を想定した「ダウンサイズ&リロケーション」もしくは「美術館運営の中止」を検討、年内に結論

・コレクションを「アイデンティティを象徴する作品群に絞り込」む。作品売却を想定

・2025年1月下旬から、現在の美術館を休館とする

 思えば、川村記念美術館は財団法人ではなく、DICという企業の1部門にすぎなかった。資産売却は意のままである。美術館のある緑豊かな敷地だって、企業の研究所の一角だ。
 そして、ここにいたる予兆は……あったと思う。
 2011年、「川村記念美術館」から「DIC川村記念美術館」に名前が変わり、2013年にはバーネット・ニューマンの《アンナの光》を103億円で売却、2018年には重文の長谷川等伯《烏鷺図屏風》をはじめとする日本絵画の収蔵品を売却、いつのまにやら吉岡里帆のおちゃらけたCMが始まり……本体の業績推移だとか株価だとかは詳しく存じ上げないけれど、出版不況や紙媒体の後退が、インキを製造する会社の経営に響かないわけはないだろう。
 この文書は「正確にはまだ決まっていないですよ」「これからこういった方向性で議論していきますよ」といった論調にとどめられ、ていねいにプロセスを踏んだ説明を試みているようではあるが、こうして広く世に公表されるということは、議論は大筋ではすでに決しているようにも思われる。
 いっぽうで、いきなり「閉館します」「売却します」では反発が大きい、それこそ企業イメージに傷がつきかねないから、観測気球的な意味をもたせつつ、情報を小出しにしているようなニオイもする。
 黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」が解体されるときにも思ったけれど、自社の企業名を冠した、下手すれば企業名よりもよく認知されているかもしれない文化的資産の価値を認識できず、安易に切り捨てようとする行為のなんと愚かなことか。
 あのおちゃらけたCMを観ていると、新しく変なコンサルでも入ったのではないか、今回もその仕業なのではないかと邪推してしまう。「価値」を「共創」とか言い出すよりも前に、一歩引いた目線で自社を見直してみてはどうだろうか。そこには大きな、金額だけでは表せない大きさをもった「価値」が、すでにあるはずだ。

 ——ただ、これまで美術館を運営し、作品を公開してくれていたのもまたDICという企業だ。そして、数字というひとつの絶対的な指標やみずからの経営方針にもとづいて、以上の文書をこしらえている。一私企業の活動に一市民が待ったをかけるというのは、なかなかむずかしいだろう。
 だが、あがきたい。あの空間を、作品を守れる可能性が1ミリでもあるのならば、そこに賭けたいとも思う。
  「ダウンサイズ&リロケーション」「美術館運営の中止」に次ぐ、第3の選択肢はないか? 千葉県や佐倉市の首長も、非常に残念がっていると聞く。等伯《烏鷺図屏風》の現所蔵者、千葉愛の強い前澤友作さんに期待する声もちらほらあがっている。
 オモチャを取り上げられた子どもが、ただ泣きわめいているわけではない。千葉の、日本のこれからのためにも、必要な空間だと思う。千葉への最後のご奉公として、ここに草の根の活動とその予兆を共有させていただき、筆を置くとしたい。


 ※個人の美術ファンの方がはじめた署名活動。わたしも署名した。ぜひご一筆を。

 ※熊谷知事……頼みます。

 ※佐倉市長の見解。署名活動、ぜひ。



 ※日本経済新聞の記事より。そんな背景が。

DICを巡っては、香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントは3月、DICの株式の保有割合を6.9%から8.56%に高めた。ポートフォリオ投資と重要提案行為を目的とし、「株主価値を守るため、重要提案行為を行うことがある」としていた



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