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赤星鉄馬「消えた富豪」の「消えなかった邸宅」へ :3

承前

 鉄馬の周囲には、美術家や美術コレクターとして名を知られた人物が多くいる。
 鉄馬の従兄弟・鉄之助の妻・ツルは、洋画家・藤島武二の妹だった。この血縁関係もあってか、鉄馬は藤島武二の作品を多数購入していたと、評伝『赤星鉄馬 消えた富豪』には書かれていた。
 この記述をもとに見つけた論文(中田1992)によると、天平美人を描いた重文の《天平の面影》(アーティゾン美術館)や、切手のモチーフともなりながら現在は行方知れずの《》といった藤島の代表作が、鉄馬の旧蔵品だったことがわかった。
 《蝶》は、練馬区立美術館での回顧展(2017年)の際、「あれ、出ていないぞ?」と思っていたところ、図録のコラムで所在不明であることが言及されており、気になっていた作品。44年ぶりに公開された鏑木清方《築地明石町》(東京国立近代美術館  重文)のように、いつかわれわれの前に舞い降りることがあるだろうか。
 吉祥寺の家に、これらの作品が飾られているところを想像するだけでもおもしろい。

 鉄馬の血縁には、もうひとり洋画家がいる。藤島と行動を共にすることの多かった、あの黒田清輝である。
 黒田は鉄馬の母・静の従兄弟にあたり、父・弥之助の肖像画を描いている(平塚市美術館蔵。母の像は安田靫彦が描いている)。

 藤島武二、黒田清輝とも、鉄馬と同じ薩摩の出。鉄馬の縁戚や交友関係を辿っていくと、薩摩人脈を中心とした壮大な系閥図が浮かび上がってくる。


・母・静は薩摩の樺山家の出身。静の従兄弟・愛輔の娘が白洲正子

・弟・赤星五郎は李朝陶磁の名コレクター。《青花辰砂蓮花文壺》(大阪市立東洋陶磁美術館)も五郎旧蔵。
 その妻・欣枝の父は、古鏡や古写経の大コレクターである弁護士・守屋孝蔵

・三男・三弥は横河民輔の孫・清枝と結婚。東京国立博物館の中国陶磁「横河コレクション」。

・姉・てるの長男は小森松菴。茶人にして陶芸家。

・国立西洋美術館「松方コレクション」の松方幸次郎と長らく親交。画家・有島生馬とも親交があった(両者ともに薩摩の出)。
 

 これだけの人々に囲まれていて、美術愛好の沼にハマりきらなかったというのは、わたしなどからすると不思議でならないのだが……そこはまあ、人それぞれであろう。

螺旋階段
藤棚。竣工時の写真には、藤の木はみられない。ストライプ模様の日よけの布が掛かっているのみだった
こんなに立派に育ちました
藤棚のテラスは、カフェスペースに使いたい
螺旋階段のある円塔が、なんともキャッチー

 ——このほど、旧赤星鉄馬邸が1週間限定で公開されたねらいとしては、武蔵野市民をはじめとする一般層にこの建物の存在をアピールするとともに、今後の活用方法について意見を募りたいということがあったようだ。
 内装は、修道会が使っていた頃から、動かせるものを撤去したそのままの状態。復元は、まだ手つかずの状態だ。
 すなわち、保存こそ決まっているが、さて、どう利活用しようかと決めかねている段階である。
 来場者は武蔵野市の枠を超え、かなりの数に膨れあがった。市としても、大いに手ごたえを得られたことだろう。これからどのように活かされていくのか、ますます期待が高まるものだ。

 この旧赤星鉄馬邸を、美術館にするのはどうだろうか。
 武蔵野市には武蔵野市立吉祥寺美術館がすでにあるが、繁華街のビルの一角で、アクセスこそよいものの手狭。いい企画をしてくれるのに、もったいないなと思っていた。
 幸いにも、東京都庭園美術館という先例がある。戦前の広い庭つきの白亜の邸宅を利用した美術館、鉄馬邸の前年・昭和8年の竣工と年代も近く、ケーススタディーとして非常に有効と思われる。
 ホームページには、アンケートのフォームが設けられている。
 思い立ったらすぐ投稿。実現するといいなあ。


 ※モダニズム邸宅を利用した美術館といえば……品川にあった原美術館。

 ※赤星弥之助のコレクションが再集結する展覧会、《天平の面影》そして《蝶》を中心とした藤島武二展、赤星五郎旧蔵の李朝のやきもの展など、ぜひ観てみたいもの。


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