ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開:3 /アーティゾン美術館
(承前)
ある作家の作品を、館蔵品に加えてさらに数点借用して充実をはかっている例が、本展では多くみられた。
マーク・ロスコ《無題》(1969年)は、アーティゾン美術館の新収蔵作品にして、館蔵品中で唯一のロスコ作品。すなわち、前身のブリヂストン美術館時代、このコレクションにロスコは1点もなかった。
抽象絵画について語ろうとするとき、ロスコは欠かせない作家。新しい美術館には、不可欠なピースだったろう。
本展では滋賀県立美術館から《ナンバー28》(1962年)を借り、手厚く補強している。
ロスコの塗り跡はけっして単一ではなく、ムラがある。ムラだらけ。
じっと見つめていると、無風のなか、まっすぐ燃ゆる炎が浮かんでくる。わずかに震動して、移ろう。どこからが闇でどこからが炎か、境や際(きわ)がつかみがたい——静止画を観ているのに、動画を観ているような錯覚がある。ロスコの2点の並びは、たいへん魅力的であった。
上の会場写真には、じつは、大事なものが写っていない。
ヘレン・フランケンサーラーの《ベンディング・ブルー》(1977年 レヴェット・コレクション)である。
高さ2.7メートルのこの大作を背にして写真は撮られているのだが、展示室内で最も惹かれた作品はこちらであった。
いちばん強く感じたのは、寒色系と暖色系のふしぎな調和ぶり。実際には、黄系統の色みはずっと鮮やかだった。
互いに激しさを内包し、せめぎあいながらも、全体としてはこんなにもよくなじんでいる。相対する色合いでも、こうもしっくりと両立できるんだ……そんな驚きがあった。しばし、絵の前に立ちすくんだ。
ここから、抽象表現主義の女性作家たちによる怒涛の大作ラッシュが続く。
みな新収蔵作品で、新美術館の目玉にして、最も特徴的なコレクションといえそうな作品群である。これらの作家の作品は国内の美術館にはほぼなく、非常に先駆的。ほとばしる情念の絵筆に圧倒された。
女性作家への注力は、抽象表現主義にかぎらず新収蔵作品全体の特色となっているが、現在活躍中のアーティストたちを取り上げる本展の最終章においても、その傾向は踏襲されていた。7人中6人が女性。
昨今は美術業界でも「ジェンダーバランス」について語られる機会が徐々に出てきた。アーティゾン美術館はこの点を声高に発することこそないものの、女性作家をアグレッシブに取り上げることで業界の先頭を行き、背中を見せているように思われる。
——抽象絵画は、印刷物や画像データでは伝わりづらい絵の最たるものだと思う。ひとたび実物を離れると再現性が低く、たちまち平板となり、光沢や凹凸の妙を失う。
それだけに、本展でこれほど多く、浴びるように拝見できたのはほんとうによかったし、帰る頃には、たいへんな充足感が去来していたのであった。
「絵とは鏡」と、以前に述べた。
観るたびに見え方が違う、気になる箇所やポイントが変わってくるという意味においては、抽象絵画こそ、絵に向き合う「只今」「現在」の自己を物語る格好の鏡なのではないか。そんなふうに思った。