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アンドリュー・ワイエス展 追憶のオルソン・ハウス /アサヒグループ大山崎山荘美術館
アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(1917〜2009)。大地を這いつくばって進もうとする女性を描いた《クリスティーナの世界》(ニューヨーク近代美術館 1948年)によって、日本でも知られている。
ワイエスの絵を国内で最も多く所蔵するのが、埼玉県朝霞市の「丸沼芸術の森」。そのコレクションによるワイエス展を観に、京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館へ行ってきた。
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ワイエスは、手足の不自由なクリスティーナ・オルソンとその弟・アルヴァロによる慎ましやかな暮らしぶりを、長年にわたってモチーフとした。
ふたりが住んでいた1743年築の古民家「オルソン・ハウス」は、メイン州クッシングの海を望む丘の上に現在も立っている。《クリスティーナの世界》の背景に描かれる、あの三角屋根の洋館だ。
ワイエスがオルソン・ハウスを初めて訪ねたのは、22歳のとき。オルソン家のふたりは当時、ブルーベリーの栽培によってかろうじて生計を立てていたものの、年を経てアルヴァロまでもが思うように働けなくなると、家屋や耕作地の手入れは行き届かず、荒れるにまかせていく。
本展は、オルソン・ハウス初訪問のまさにその日に描かれたみずみずしい水彩画《オルソンの家》(1939年)にはじまる屋外風景の章、室内風景と静物の章、「オルソン・ハウスの終焉」と題する章、さらに《クリスティーナの世界》のもとになった素描の小展示からなっている。
《オルソンの家》はじめ初期の屋外風景では、自然が叩きつけるような激しい筆致で描かれるいっぽう、オルソン・ハウスは直線を主体として鋭利に描き込まれており、対照的。
こういった作品や、アルヴァロが農作業の息抜きにタバコをふかす《玄関に座るアルヴァロ》(1942年)などを観ていると、オルソン・ハウスの環境そのものや田園での生活に、若きワイエスが強く魅かれていたようすが感じられた。
1950年代以降は、オルソン・ハウスの室内——屋根裏やキッチン、納屋などを描いた作品が増えていく。卵やブルーベリーの計量器、オイルランプといった道具類のクローズアップも多くなった。
室内画・静物画に共通するのは、暗がりのなかであること。窓から差し込む自然光と、室内の暗がりとが織りなす対比を、ワイエスは繊細な筆で捉えている。
この頃には「ドライブッシュ」と呼ばれる筆遣いが編み出され、多用された。かさかさの筆で何度も塗り重ねることで、荒れた、重厚な風合いが醸しだされている。
出品作《海からの風》(1947年)は、ワシントン ナショナル・ギャラリー所蔵の同名作品(下図)の習作。本画はテンペラ画、習作は簡略な水彩画となっている。
ある夏の日、オルソン・ハウスの屋根裏で、レースカーテンが海風に揺られる——なんでもない日常の片隅を切り取ったがゆえに、広く共感を集める作品である。美は、暮らしのなかにも潜んでいる。
ワイエスの描くオルソン・ハウスは、周囲の集落から隔絶され、多くは曇り空のもとで、縹渺と佇んでいる。その室内には暖かさは感じられず、すきま風の肌寒さがただあるのみ……
オルソン・ハウスでの暮らしは静かで、穏やかなものではあったのだろうが、同時に、先行きの不透明感や不安感、老いの厳しさ、侘しさ、孤独などをはらんだものだったようだ。そのやるせなさは、年々募っていく。
ワイエスはそういった影の部分に目を背けることなく、正面切って向き合った。
というかむしろ、そこにこそ、ワイエスは魅かれていったといえるのかもしれない。家屋に生じた綻び、耕作地の荒廃ぶり、老人の肌に刻まれた深い皺……暮らしや生命が、ぎりぎりのところで繋ぎとめられている切実さに、胸を打たれた。
そのような感触は、実質的な終章「オルソン・ハウスの終焉」によって、より濃密に迫ってくるのであった。
1967年の暮れに弟・アルヴァロが、翌年1月には姉がこの世を去った。1969年、ワイエスは主人なきオルソン・ハウスを再訪、連作を描く。本章では、この時期の作品を展示。
姉弟の晩年から、オルソン・ハウスは老朽化が目立っていた。そのさまは《さらされた場所》(1965年=下図)の習作から見てとることができた。
窓ガラスは割れたまま放置されていたり、布が突っ込まれていたり。ツバメが巣をつくり、わが物顔で群れている。
《クリスティーナの墓》(1968年)は、埋葬がはじまる直前の墓を描く。遠景には、オルソン・ハウス。葬儀のようすやクリスティーナの亡骸は描かれていない。閑けさが、胸を締めつける。
そして、姉弟没後の連作のひとつが、リーフレットの《オルソンの家》(1969年)。凍える空気のなか、変わらず立ちつづけるオルソン・ハウス。ここには、ふたりの亡き友人との30年間にわたる交友の思い出が、詰まっている。ワイエスの万感の思いが込められた一枚である。
地階の展示室には、《クリスティーナの世界》の習作5点。名作の制作背景をエピローグ的に拝見して、本展はお開き。
——訪問時、空は雲量100の曇天。帰る頃には、雨が降りはじめていた。
いずれにしても、ワイエスの絵には似合いの天候。偶然だけれど、そんなところも、鑑賞をより深いものとできた要因だったのかなと思う。
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※ショップでは、同じコレクションにより構成された新潟市美術館「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」展(2019~2020年)の図録を販売。これが、すばらしい出来。布張りの上製本、横位置で図版が大きく、観やすい。