東京で、奈良をさがして:3
(承前)
高輪プリンスから徒歩20分弱。五反田駅前に、薬師寺の東京別院がある。
西ノ京の壮大な伽藍とは異なり、香道のお家元の旧宅を改装した“市中の山居”で、ご本尊は奈良からお迎えした鎌倉期の薬師如来像だ。
昨年大修理を終えた国宝・東塔の落慶法要は時局を鑑みて延期となってしまっているが、いまの時代、いちばんにすがりたいみほとけは薬師如来をおいてほかにいない。その分身が東国にもいてくれるのは心強い。
東京都町田市の鶴川といえば、古美術ファンには白洲正子旧宅・武相荘の所在地としておなじみ。武相荘があるのは駅の北側だが、じつは南側もなかなかにおもしろい。
わたしがこのあたりを散策しようと決めたのは、南側に広がる川崎市麻生区の飛び地・岡上地区がいかなる地域か、歩いて探ってみたかったから……というのが表立っての理由。
本当のところは、白鳳の寺院・岡上廃寺址に古代の布目瓦が落ちていると聞いたからだ。布目瓦は東大寺や興福寺でいくらでもみられるが、関東で古代瓦の散乱を確かめられること自体が、きょうび貴重なのだ。
徒歩30分ほどで行き着いた廃寺址は私有地で、遠まきに眺めるしかなかったのだが、周辺には瓦窯址、住居址、多くの横穴墓、中世の城館址まである。古刹・東光院には、非公開ながら重文の平安仏もある。
周辺一帯は川崎市と町田市が入り組んでいて、史跡はどちらの自治体にも分布している。田畑かニュータウンしかない、多摩地域のありふれた生活風景の深層になにがあるのか。
ヒントは地名にあった。町田市側は「三輪町」「奈良町」という住居表示になっているのである。さらに地域内の複数の神社が、三輪山の大神神社から主神を勧請した伝をもっている。大神神社側の文書にも、平安前期に三輪山からこの界隈に派遣され居住した一族の存在が記されているのだという。
奈良の名残は、史跡や地名だけでもない。高蔵寺から東方向へ、白坂横穴古墳群へと抜けるまでの道沿いは農園や竹林になっている。看板によると、土地の人みずからが〝関東の三輪山〟たらんと意識して畑を耕し、果樹や庭木を丹精しているそうだ。たしかに、どこか山の辺の道を感じさせるような、のんびりとした空気がここには漂っている。
多摩地区、とりわけ町田のあたりにはこうした静かな里山、谷戸(やと)がかろうじて点在していて、散策するに楽しい。この町田市三輪町や川崎市麻生区岡上のあたりもそうであるが、さらにここでは奈良の風韻が加わってくる。東京住みの奈良好きにとってはオアシスのような場所だ。
最後になってしまったが、アンテナショップ「奈良まほろば館」の紹介を忘れちゃならない。なにせ、今月10日に移転・リニューアルオープンを果たしたばかりなのだから。わたしも先日行ってきた。
日本橋時代は三越の目の前で立地こそよかったものの、テナントの都合でいびつなスペースしか使えなかった。今回のテナントはゆとりがあって、取り扱い商品は高価格帯のものを中心に若干増えた。イートインスペースやレストランはまた別の機会に利用してみたい。
じつはこの界隈は定期圏内で、時間さえ合えば毎日でも寄れる。奈良博の配布物や「祈りの回廊」もすぐに入手できるし、春鹿や三諸杉、篠峯も買える。種類がそう多くなく、風の森がないのは残念であったが……
ともかく。
東京でも、奈良はさがせるのだ。それなりには。