出逢いはいつも突然に 藤牧義夫の回顧展:1
「いきなりなんのこっちゃ」というタイトルだが、話は単純。
いつものようにツイッターで展覧会情報を集めていたら、こんな見出しの記事にぶち当たったのだ。
藤牧義夫の生誕110年記念展が、故郷・群馬県の館林ではじまる。
不肖ながらこの展覧会の存在をまったく捕捉できておらず、あっと驚いてしまった。そして、この情報をキャッチしてからというもの、わたしはずっと上機嫌だった。
藤牧義夫に触れていくにあたって、まずは《赤陽》という作品をご覧いただきたい。
都会の喧騒と憂愁が殴り書きのように刻みつけられており、鬼気迫るものすらある。
藤牧義夫は、昭和はじめのごく短い期間に制作をおこなった版画家。都会や下町のなにげない風景をモチーフとした。
《赤陽》は画業の最終期にあたる時期(1934年)のもので、代表作として挙げられるものの、やや異質。
このような激しい情念のこもった作風の前は、単純化し、ときに膨張させるようにデフォルメした穏健な形態、独特な着想の構図で都市風景を描いていた。
・《御徒町駅》(1932年)
・《白ひげ橋》(1933年)
・《鉄の橋》(1933年)
・《雪》(1933年)
モダーンで、素朴な感じもする。それでも、どこかうら寂しいところはずっと変わらない。
――察しのよい方はお気づきかもしれない。藤牧義夫が活動した「ごく短い期間」とは、5年にも満たない期間だ。
藤牧義夫は、24歳で死んだ。
おそらくは……
断定できないのは、失踪したまま、現在も行方知れずだから。
藤牧の失踪をめぐっては、近年になってフィクション/ノンフィクション両面から分析・紹介されている。美術はあまりという方でも、ミステリーがお好きならばぜひおすすめしたいところ。
こういった逸話の興味深さはあれど、そもそも、二流画家では話が成り立たない。
藤牧の場合、上に挙げたような版画作品だけでも魅力的なものだけれど、それ以上に人を虜にしてやまない、もうひとつの代表作がある。
それが、隅田川沿いの風景を淡々と描いた《隅田川絵巻》。藤牧はこの長大な画巻を、失踪の前年までに完成させていた。(つづく)
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